哲学に関するdolphincocoaのブックマーク (7)

  • 【哲学】人類をリセットするクラウド革命

    科学が私たちの理解を変える方法は、ごく大ざっぱに分けて2つある。1つは外向き、つまり外の世界についての認識を変えるもの。もう1つは内向き、つまり私たち人間についての理解を変える方法だ。過去の3つの科学革命は、その両方に大きな影響を与え、外的世界に対する私たちの理解を変えることで「人間とは何か」をめぐる私たちの内的認識も変えた。 コペルニクス以後、それまでの地球中心の宇宙観に太陽中心の宇宙観が取って代わり、人間を宇宙の中心から追い出した。ダーウィンは、すべての生物種が自然淘汰によって共通の祖先から進化してきたことを示し、人類を動物界の中心から追い出した。そしてフロイト以降、私たちは精神も無意識の産物であり、抑圧という防衛機制に影響されることを理解するようになった。 つまり、私たちは宇宙の中心に位置する不動の存在ではなく(コペルニクス革命)、他の動物たちと切り離された別個の存在でもなく(ダーウ

  • ニーチェの哲学を理解するということは、人がルサンチマンから解放されるということ - finalventの日記

    なんですよ。 ⇒ルサンチマン - Wikipedia こうしたルサンチマンの例は、敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己を定義しようとする様々なイデオロギーである。このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。

    ニーチェの哲学を理解するということは、人がルサンチマンから解放されるということ - finalventの日記
    dolphincocoa
    dolphincocoa 2009/10/13
    「敵との対比……において自己を定義しようとする様々なイデオロギーである。このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。」
  • ギリシア哲学への招待状

    北伊勢(きたいせ)総合大学という架空の大学の愛知哲仁(あいちてつひと)講師による一般教養の哲学講座の講義録です。科目は「哲学」となっていますが、内容は「哲学史」です。しかも、「ギリシア(ギリシャ)哲学史」の途中で終わってしまいます。 あくまでもフィクション(虚構)ですので、そこのところはしっかりと含みおき下さい。ただし、真実は存在するかもしれません。下に内容と各講義へのリンクがあります。 ギリシア哲学史入門初期ギリシア哲学ソクラテス以前の哲学者たち 〔第1講〕ミレトス派タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス。 〔第2講〕ピュタゴラス派ピュタゴラス。数学音楽、ハルモニア。 〔第3講〕ヘラクレイトス万物は流転する。 〔第4講〕エレア派パルメニデス、ゼノン。ないものはない。 〔第5講〕エンペドクレス4つのリゾマータ。 〔第6講〕アナクサゴラススペルマータ、ヌース。 〔第7講〕原子論レウキッ

  • 若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記

    講談社文庫のツァラトゥストラはハイデガーの註をつけていた。あれがよかった面と悪かった面があるかもしれない。というか、結局ハイデガーを読んでいたようでもあるし。 あのころ、西尾幹二が文壇?というかニーチェ学者として出てきたのだが、私のような高校生レベルで、こ、これはニーチェが読めてねーとか思ったものだった。ツァラトゥストラは四部あり、三部で大きな転調のようなものがある。永劫回帰の問題でもあるし、<正午>の問題でもある。だが、西尾はせいぜい一部で留まっていた。この人には西洋の思想というに取り組む胆力とういのがないのではないかと若造ながらに思った。というか、ハイデガーですらというかハイデガーだからかということもかもしれないが、彼の持つテキストを読み解こうとする妄念のようなあるいは自己規律のようなものが、西尾には感じられなかった。その後の西尾については率直にいってほとんど関心ない。吉が意外に西尾

    若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記
  • またこの手の増田小町 - finalventの日記

    ⇒32歳処女だけど、少なくとも私の場合は選択の結果の処女だな。 ぶくま⇒はてなブックマーク - http://anond.hatelabo.jp/20081011173228 2008年10月12日 koyata08 はてな匿名ダイアリー, sex 恋愛とセックスを切り離さないという自己決定をしている場合、セックスが自己決定だけではどうにもならない問題になる。恋愛とセックスとを必ずしも結びつけないという自己決定もあり得える。 これが「自己決定」の問題なのかというとスコープをその自己「自分」にとるならそうなんだろうけど。 現実にはこれに、材というか社会ステータスと、子が関係する。「自己決定」の「自己」って実は関係性の幻想。 材というか社会的ステータスのツールとしての恋愛あるいはおセックスというとき、つまり、それを「自己決定」したといえるのか。どうもこのあたりは、古典的な自己疎外の問題がありそ

    またこの手の増田小町 - finalventの日記
  • もう古い本だけどこれはお勧めですよ、この手の話に関心があれば - finalventの日記

    ポパーの科学論と社会論: 関 雅美 ついでにこれもね。 言語はなぜ哲学の問題になるのか: イアン・ハッキング, 伊藤 邦武 これはざっと読んだだけ。 ダメットにたどりつくまで (双書エニグマ): 金子 洋之 これもざっとだけ。 デイヴィドソン―行為と言語の哲学: サイモン エヴニン, Simon Evnine, 宮島 昭二 まあ、なんというか、私なんか哲学をプロパーにやる気はないので(他の分野もそう)、というのと、自分が積み上げた奇妙な独自の方法論の決着に、あと死ぬまで考え続けるかなという感じですかね。

  • 哲学・倫理学用語集 PHILOSOPHY AND ETHICS WORDBOOK

    倫理学風研究に戻る / 生命倫理学用語集 / トップページに戻る 哲学・倫理学用語集 はじめに あいまいで無意義な語法や言語の誤用が長く学の秘義とされてきて、 ほとんど、あるいはまったく無意味な、難解もしくは不正な言葉が、 長い慣行で深遠な学識・高邁な思索と間違えられる権利を得てしまったので、 そういう言葉を話す者にせよ聞く者にせよ、そうした人たちを説いて、 それらの言葉が無知をおおい、 真の知識を妨げるものに過ぎないと承服させることは容易でないでしょう。 ---ジョン・ロック あらゆる学問のさけられない運命なのか、 哲学や倫理学のにおいても、 われわれ一般人にはわかりにくい単語が多用されています。 多くの一般人は、哲学や倫理学のを読もうとして、 「物自体」とか「実在」とか「表象」とか、 生まれてこの方見たこともない単語を目にして気を失なってしまうか、 あるいは「これは日語ではない」

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