2008年3月、起業のためのビジョンをレポート用紙にひたすら書き綴ったシンガポール行き飛行機に乗る前夜(「最後に“穏やかに”笑うのはメーカーだ」参照)、永守知博は実家で父母と一緒にしゃぶしゃぶを囲んでいた。 「あの時のしゃぶしゃぶ、うまい肉だったのに、しゃべり過ぎて3切れくらいしか食べられなかったのがいまだに心残りなんです・・・」 そんなふうに当時の感慨を語る永守だが、この時、父である永守重信は自分が経営する日本電産のグループ会社に勤めさせていた息子に言った。「そろそろ、出ていったほうがいい」。 「お互いがベストの状態であるための、発展的解消です。要するに、師弟関係から親子関係に戻ったわけです。『もう教えることはないし、起業するならそろそろしたほうがいいんじゃないか』と。“免許皆伝”ですね」 父は言った。「普通以上のキャリアを作りたかったら、普通以上のことをしないとだめだ」。もちろん、その