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2021年12月8日のブックマーク (3件)

  • 地図上で目を引く円形(行田地区)

    円形の道路が以前無線電信所であったことを伝えてくれる 行田団地や行田公園を含む地区が円形の道路で囲まれているのは、昔この場所に海軍の無線基地があった名残です。 無線電信所が設置されたのは大正4年。真中に高さ約200メートルの主塔、周囲に高さ60メートルの副塔が18立ち並ぶ大規模なもので、性能は当時世界でもトップクラスでした。まだ市になる前の船橋が「日の口」として初めて世界地図に載ることにもなったそうです。 無線塔は、大正天皇とウィルソン米大統領の祝電交換や、関東大震災時の通信手段としても活躍しましたが、ここで歴史的に最も有名な電文は「ニイタカヤマノボレ1208」です。これは、真珠湾攻撃の実行を告げる暗号で、昭和16年12月2日午後5時30分に発せられました。 その後、無線塔は昭和46年に解体され、今では行田公園に記念碑が残るだけとなっています。 (写真1枚目)終戦後、米軍から返還される

    地図上で目を引く円形(行田地区)
    doopylily55
    doopylily55 2021/12/08
    “史的に最も有名な電文は「ニイタカヤマノボレ1208」です。これは、真珠湾攻撃の実行を告げる暗号で、昭和16年12月2日午後5時30分に発せられました。”
  • 船橋送信所の光と影 滝口さん研究20年 「行田無線史」出版 /東京 | 毎日新聞

    海軍無線電信所船橋送信所を写した絵はがき(1924年、船橋市西図書館所蔵)。主塔を中心に副塔が取り囲んでいる 日無線界の指導的存在/真珠湾攻撃の暗号発信 かつて千葉県船橋市行田にあった旧日海軍の通信施設「海軍無線電信所船橋送信所」の歴史についてまとめた「天に聳(そび)ゆる無線塔 行田無線史」を、船橋地名研究会会長の滝口昭二さん(82)が自費出版した。滝口さんは2005年から約5年間かけて、この送信所について研究冊子を発行しており、その総集編となる全450ページの力作だ。【小林多美子】 送信所は、日米開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃命令を艦隊に知らせる暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」を、広島県の呉港に停泊していた旗艦「長門」から経由して発信した。

    船橋送信所の光と影 滝口さん研究20年 「行田無線史」出版 /東京 | 毎日新聞
    doopylily55
    doopylily55 2021/12/08
    “海軍無線電信所船橋送信所」の歴史” 副塔整備用の円形道路直径40mが残った
  • 暴走族37人検挙 「神奈川統一しようと」

    神奈川・小田原市などを拠点に、バイクで暴走行為を繰り返した2つの暴走族グループの37人が、警察に一斉検挙された。 映像では、赤信号でもバイクは止まることなく、暴走行為を続けているのがわかる。 書類送検されたのは、「小田原狂走連合」など、暴走族2グループの当時16歳から18歳の少年・少女37人で、2021年2月、神奈川・大井町から小田原市にかけ、バイクで信号無視や道路いっぱいに広がって走行するなどの暴走行為を繰り返した疑いが持たれている。 調べに対し、37人全員が容疑を認め、リーダー格の1人は「神奈川を統一しようと思っていた」などと供述している。

    暴走族37人検挙 「神奈川統一しようと」
    doopylily55
    doopylily55 2021/12/08
    なんだろう、このド昭和感