彼はわりに早い時期から「他人と世界は一定以上理解することができないものだ。なにか特定のものを深く理解する動機もない。適当に表面をさらってうまくやっていけばいい」という信念を持っていた。 だから彼の努力はすべて、最大多数にとっての価値を獲得することに向けられた。有名な大学、有名な会社、花形とされる部署。およそ誰とでも話せる人当たりのよさ、相手の求めるものを察知し、その場に適応する能力。どんな分野の話題でも十分は話せる広範な、しかし掘り下げられることのない知識。 彼はだから、「俺はテレビだ」と言う。テレビは多くの人にとって必要な、自明の存在であり、簡単にチャンネルを変えることができ、深みがないからこそ接する上でのストレスが少なく、ときに華やかでセンセーショナルで、でも決して、与えられた大きな規則を破ることはない。 「それが物足りないこともないわけじゃない。でも路線変更はしない。なにしろテレビに
![テレビみたいな人 - 傘をひらいて、空を](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)