登山道というほどではないけど山の道って感じの道はあるじゃん?舗装されてて車も通ってるけど、道の外側に建物があったり誰かの庭だったり軒先だったりとあからさまに誰かの土地感があるわけじゃなくて、藪や木が果てしなく広がってる感じで突き進もうと思えば進めるようになってる道。 でも法的には道から一歩外に出て藪に進んだら違法らしい。 道がある山の道じゃない部分なんてほとんど公有だろう。 かりにそうじゃないとしたら、誰かが持ってる山の部分に国だのなんだのが勝手に道を敷いていることになるんだから不自然だ。 で、仮に森林地帯のうちの、道も、道じゃないところも、公共の土地という点で共通なのだとしたら、なぜ道は自由に通行してよく、そうじゃないとこは入っただけで違法なんて扱いをデフォルトにしたのだろうか? どっちも公共の地面なんだから、原則自由に通行できるようにすればよかったんじゃないの? 自然保護目的で踏み荒ら
これは、「そもそも何でこんなことが出てきたのか?」というところから始めないとよくわかりません。 数学の証明問題では、ずっと証明していくとどこかで、当たり前すぎて証明できないようなところに当たってしまうことがあります。 パスカルは「誰もが当たり前だと思う”真”であること」を公理としました。 「証明問題は、この公理から始めるべきで、公理自身は証明できない」としました。 ところが、数学が発展してくると、負の数や虚数などが出てきました。こうなると「誰もが当たり前だと思う”真”であること」というのが非常に怪しくなってきました。 そこで、20世紀初頭にヒルベルトなどの学者が、「公理というのは単なる基本ルールである。それが現実的かどうかは関係ない。」 としました。いくつかの公理をまとめたセットを公理系といいます。とにかく公理系を認めてしまい、それを採用すれば何が言えるかということを考えるのが現代の数学な
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く