人口約1万8000人のうち1万5000人が暮らしていた小都市、志津川地区には、3カ月目になろうというのに1つの照明も点灯していなかった。 小雨模様の夜空を見上げると、雲を通して月の明かりがぼんやりと見えていたが、この町はまるで夜闇に包まれた砂漠だった。遠くに、町の南のはずれにあるホテル観洋の明かりだけがポツンと見えるのみだ。もっとも、時折通り過ぎるクルマのヘッドライトが、突然、道路脇に転がったままの破壊されたクルマの姿を写し出しドキッとする。 死者542人、住宅、建物の全壊・半壊は3311。いまだに行方が分からない方が664人もいて、23の避難所には今も2414人が過酷な日々を過ごしている(6月28日、18:00宮城県報告)。 南三陸町への送電は既に復旧しているにもかかわらず暗闇が広がっているのは、人の営みが完全に途絶えていることを意味している。被災地に「一定のメドがつく」日をそうやすやす