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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/youkaiei (3)

  • 中国共産党と中国人を区別して考えてはならない

    <漢民族はどの民族よりも中国共産党のジェノサイドを支持している。共産党は民族政党に変質した> 中国の民族問題について思索する際に、中国人、すなわち漢民族と中国共産党を分けて考えようとの意見が日や欧米にある。果たして、そうした区別は有効だろうか。 1950年代初頭、内モンゴル自治区の党書記兼主席だったウラーンフー(ウランフ)はある演説でこのように指摘した。「自治区の首府フフホト市では幼稚園児も一般の農民も、漢民族はみんなモンゴル人を野蛮人だと呼んで差別している」 この事態を問題視して部下に解決を促したウラーンフーは、恐らく自身の経験に即して発言したのだろう。当時のモンゴル人は母語のほかに日語と中国語、場合によってはロシア語をも操っていた。日が支配していた満洲国と蒙もうきょう疆政権(モンゴル自治邦時代含め)は教育に力を入れていた結果、現在の内モンゴル自治区は当時、中国で最も教育水準の高い

    中国共産党と中国人を区別して考えてはならない
  • 平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善 

    満蒙は黙殺されてきた(1931年、満洲を占領した日軍)DE AGOSTINI PICTURE LIBRARY/GETTY IMAGES <日の植民地支配のせいで中国の専制統治下に置かれている弱者にも目を向けよ> 8月になると、あらゆるメディアが示し合わせたかのように戦争の特集を組むのは、世界でも日独自の現象だろう。 日人は皆、先の大戦を回顧し、口をそろえて反省の言葉を発し、平和を礼賛する。この日的な美徳は必ずしも世界から評価されているわけではないようだ。日人同士で語り合い、日国内での平和が強調されるだけで、国際性が低いと批判される。周辺国がいまだに時機を見て日歴史カードを切っていることが、その実態を雄弁に物語っている。なぜ、日歴史問題が解決できないままでいるのだろうか。 原因は多々あろうが、最大の問題は日が他者の立場に立って物事を考えることと、他者の視点で世界史を見

    平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善 
  • 基本的人権の理念を捨て、習近平を国賓に迎える安倍政権

    <ウイグル人弾圧、香港抑圧の習近平・独裁体制と「世界平和」を目指す安倍政権は、人権、民主主義の理念を捨てて経済的利益を優先するのか> 「日中両国はアジアや世界の平和と安定、繁栄に大きな責任を有している。(中略)この責任を果たすべきだとの認識を共有し、その意思を明確に示すことが国際社会から求められている」 この政治的常套句を口にしたのは、中国政府の気難しいスポークスマンではなく、日の安倍晋三首相である。去る12月9日の記者会見で、来春に予定する中国の習近平(シー・チンピン)国家主席の「国賓」としての来日に方針変更はない、との決意を新たにした。 日中関係・日米関係に何が起きているか全く釈然としない──そう考える米シンクタンク勤務の私の友人が東京に来ていたときに、安倍首相は中国寄りの姿勢を一層強めて見せた。アメリカへの挑戦とも映る日政府の昨今の動向は決して感情的な「反抗」ではなく、明確な意図

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