2010年9月1日のブックマーク (4件)

  • 沖縄の道の駅で、脱走したウリ坊と子豚の心温まる交流を見た! - 沙東すず

    今回は沖縄南部のスポットをご紹介します。名水の湧き出るオアシス、城(グスク)跡、おきなわワールドの鍾乳洞や毒蛇のお勉強、巨樹のしげる谷…そして糸満の道の駅で見たウリボーの脱走劇などなど。 久高島を離れ、島の東南端から西南端の糸満へ向かうメレ山。バスは非常に少なく乗り継ぎも必要なので、タクシーで名所をめぐりながらおきなわワールドまで連れて行ってもらうことにしました。 沖縄随一のオアシス「垣花樋川」 垣花樋川は「かきのはなひーじゃー」と読みます。車を停めてもらったら、石畳の道をゆっくり降りていく。 すると海に向かってひらけた斜面に、子供たちの遊ぶオアシスが! 光は降りそそぎ花は咲き乱れ、モンシロチョウ乱れ飛ぶ…なんだこの楽園!! 横にはクレソンの生い茂る棚田が。クレソンって山葵みたいに清冽な水の中で育つんですね、知らなかったです。 斜面の向こうには志喜屋の漁港が見えます。 真水に乏しい沖縄に

    沖縄の道の駅で、脱走したウリ坊と子豚の心温まる交流を見た! - 沙東すず
    dragon-boss
    dragon-boss 2010/09/01
    「プキー」
  • 山本小鉄の心地よさ | プチ鹿島ブログ「俺のバカ」

    小鉄の現役時代を私は知らない。プロレスラーとしてはまだ脂がのりまくる38歳の若さで引退したからだ。猪木から「これからは選手だった解説者が必要」と口説かれた。それが1980年。 そして80年代、新日プロレスは空前のブームを巻き起こす。過激で魅力的なリング上もさることながら、テレビ中継席の古舘&小鉄のコンビも人気の一翼を担っていた。 確か、直木賞作家の村松友視だったと思う。「山小鉄の解説が良いのは猪木のダメなところも指摘するところだ」と書いていた。そうすることにより解説者としても勿論、「スポーツとしてのプロレス」の説得力が発生したのだ。 当時はゴールデンタイムで放送していたメジャーなジャンルだったが、それと同時に「プロレスは八百長、ショー。」という一般の視線にも常にさらされていた。 そんな状況で観る中継で、山小鉄がキビキビと「この技はまだ効いてません」「もう少しポジションを変えたらい

    dragon-boss
    dragon-boss 2010/09/01
    《プロレスが実際どうであれ、この「道場論」がある限り、「自分たちはいいかげんなものは観ていない」とファンは信頼できたのである。敬意を抱けたのである》
  • 追悼・鬼軍曹

    驚いたというよりも、 全く実感がない。 信じられるも信じられないも、 死というイメージが全く結びついてこない。 新日公式 より 【訃報】新日プロレスリング、山小鉄さんが逝く 新日プロレスリング株式会社・山小鉄顧問が、8月28日(土)午前6:42に低酸素性脳症(ていさんそせいのうしょう)により、お亡くなりになりました。享年 68歳 山小鉄さんは1941年10月30日、神奈川県横浜市出身。1963年1月に日プロレスに入門。星野勘太郎さんとのヤマハ・ブラサーズで活躍。1972年3月には、新日プロレス旗揚げに参加した。 1980年4月に現役を引退後は、コーチとして後進の指導にあたり、“鬼軍曹”と呼ばれる熱血指導で数々の名選手を生み出した。また『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)のテレビ解説者としても活躍し、当時・実況を担当していた古舘伊知郎氏との名コンヒ

    追悼・鬼軍曹
    dragon-boss
    dragon-boss 2010/09/01
    《「誰よりも強くなれ。強くなったら、お前のこと誰も文句言わねぇ」》
  • http://www.kamipro.com/column/gk.php?id=1283171831

    dragon-boss
    dragon-boss 2010/09/01
    《小鉄さんから「山崎、テレビの解説でヒールなんて言葉は使っちゃいけないだろ!」と指摘を受けたというのだ》、小鉄さんはまさに「プロ」レスラーだ。