先週、Business Media 誠で「新聞、テレビ、ネット……メディアを分類することに意味はあるのか?」という記事が掲載されていました。その内容についてこのブログで反論を書いたのですが、続きとなる記事が出ていましたので、感想を述べてみたいと思います。 ■ オーマイニュースが、日本で普及しなかった理由 (Business Media 誠) 若干ロジックに不明瞭な部分があったのですが、僕個人としては、以下のような主張だと理解しました: 「これは大変なことだ」と一目で判断できる出来事と、そうでない出来事がある。前者は報じるのが簡単で、後者は難しい(深層まで追求してニュース性を示さなければならないため)。 報じることが難しい「一目で大変だと判断できない出来事」は、訓練を積んだ記者にしか手を出せない。もしくは素人が手を出しても、ニュース性が感じられる記事を書くことはできない。従って、「市民記者」
1.圧倒的な小回りの良さ。 紙とペンさえあれば描ける。その気になれば一人で描ける。短期間でも描ける。 映像作品は、その完成までに多数の人間と時間を必要とする。大勢が関わると小回りが効かない。時間がかかる、金がかかる。結果、誰の作品だか解らなくもなる。 実写映画や、アニメのように、多くの人が関わり、多くの資本が乗っかり、権利も権限も分散されてしまうものに比べ、マンガの圧倒的な小回りの良さは、作品を作家のものにする。 「大量生産の大勢の聴衆が好む何か」以外のものを生み出せる可能性がある。 この小回りの良さは、物凄い武器になる。 2.圧倒的な取り回しの良さ。 文字が読めて、絵が見れればマンガを読む事が出来る。(本当はマンガの文法を知らないとダメだけれど、なんとなく読むだけで習熟できる) ここまでは、映画やアニメの方が、読むという能動でなく、見るという受動で楽しめる分、敷居が低い。が、マンガは読む
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