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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (1)

  • ”話が通じない”こと - kom’s log

    片方から片方を眺めたときにある解釈を”曲解”だの”誤読”、より端的には”アホ”と判断することがある。たとえば最近目にしたのは某産経新聞記者のコメント欄の炎上ぶりとか。まったくかみ合わない。これを高みから眺めて「すべては相対的な判断でしかない」とほぼ隠居というか仙人な態度もこれまたよくみかける話。一方で、この奈落のようなかみ合わなさ、ギャップを認知という状態*1をもちこんで考えてみるといいんじゃないかという話をApemanさんがずいぶん前に書いていて、おもしろいな、と思った(synonymousさん経由)。ギャップを架橋する対話工学的な手段がデザインできるかもしれないし。 レイコフ、『比喩によるモラルと政治』のためのイントロダクション 認知科学の倫理的含意――概説とケーススタディ でもこうしたメチエとはまた別の話になるが、認知の形成という器質的な過程が不可逆だったら、認知の差であると明らかに

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