高階秀爾『ニッポン現代アート』(講談社)の書評で、原田マハが「現代アートとは、わかるものではなく、感じるものだ」と言っている(朝日新聞、2013年6月23日)。そうだろうか。原田は書く。 少し前に、現代アートの美術館を女性雑誌の編集者とともに訪れた。その人は、「恥ずかしい限りですが、私、現代アートというのがよくわからなくて……」と正直に打ち明けた。私は答えた、「わからなくて当然ですよ、私だってわからないんですから」と。 私も、かつて現代アートを「わかろう」と努めた時期がある。次々に登場する最先端の表現を、ある種の類型や流派に当てはめて、「多分、こういうことだろう」と結論してみたりもした。しかし、ようやく「わかった」のは、現代アートとは、わかるものではなく、感じるものだということだった。 編集者の言葉を「正直に打ち明けた」と引くのは変だろう。それはさておき、現代アートが分からないということに