2冊め、CMC(コミュニティマネージャズコミュニティ)の読書会の課題図書になっていて知った本。 ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~ 作者:影山知明大和書房Amazon 「クルミドコーヒー」(いきなり音出るので注意)というカフェの店主、影山知明さんが書いた本。 カフェ経営の話、かと思ったら、コミュニティと経済の話がメインなんですね。 いやー面白かったですねぇ。いい本を紹介してもらった。 あまりに面白かったので、読んだあとたまらなくなって、カフェっぽい気分を味わいたくなり、ケーキを焼いてしまったほどだ。 私が一番ポイントだと思ったのが、「消費者的な人格」、そしてそれに対立する「受贈者的な人格」という概念。 この二つの対立概念で、いろんなことが説明できて、自分がノラヤを運営する上でもやもやしながら悩んでいたことに、光が射したように思えた。 「消費者的な人格」とは、なるべ
Creating the possibilities of humans and society, Like sports. CEO Dai Tamesue 人間と社会の可能性を拓く、 スポーツのように。 タイムというはっきりとした結果が出る競技を追求しながら、人間の限界はどこにあるのだろうかと考え続けてきました。伸び悩んだり、重圧に苦しんだりする中で、限界は自分自身の思い込みが作っているのではないかと、そう思うようになりました。 社会を見渡せばそんな出来事が溢れています。思い込みによって制約がかかり可能性が狭まっている。自分がスポーツと向き合ってきた方法が、人間と社会の可能性を拓く上で活かせるのではないかと思い、会社を始めました。 私は「スポーツとは身体と環境の間で遊ぶこと」だと定義しています。遊びには計画も、義務もありません。面白いから行われる自由な活動です。そんな「遊ぶ」という感覚が
本連載前回記事では、若者のクルマ離れの本質的理由について考え、そもそも日本人はクルマの運転に向いてないのではないかという問題提起を行った。今回は、そのように考えられる理由と、欧米と日本におけるクルマに対する価値観の違い、そして将来の日本の自動車産業について考察していきたい。 欧米人がクルマ好きな理由は、いたってシンプルだ。クルマは個人の移動の自由を担保する最大の利器であり、自分たちが生み出した20世紀最大の文明物だからである。 では、個人の移動の自由とはいったい何か。 現代の日本人にとっては、あまりに当たり前すぎてピンとこない。もしくは、土地に束縛された農耕民族であり、しかも政治体制が確立されて以降に異民族からの侵略をほとんど受けたことのない島国民族の思考には、そもそもそういった考え方が刷り込まれていない。なぜなら、欧米民族のように生命の存続に関わる移動の試練と、その先に発達した自由精神の
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