東京都奥多摩町にある首都の水がめ「小河内ダム」が完成してから、26日で50年。湖底に沈む村の住民の反対を押し切って造られたダムはこの間、東京の安定した水供給に貢献してきた。歴史を知る住民らは、半世紀に思いをはせる。(溝上健良) 今月13日、湖底に沈んだ旧小河内村関係者を招いた記念式典が、ダムでできた奥多摩湖のほとりで開かれた。奥多摩湖に蓄えられている水は、満水時で都民の40日分の消費量。主に多摩地区の水道用水として利用されているが、渇水時には都内全域に送られる。 東京市(当時)が将来の人口増加に備え、小河内ダム建設を決めたのは昭和7年。日本最大のダムの高さが79メートルだった当時としては、高さ149メートルという小河内ダム計画は壮大だった。 ほぼ全体が水没する旧小河内村では建設反対の声が高まったが、当時の村長が建設を了承し、村民を説得したという。しかし、着工までに6年。村民の苦悩は石川達三