ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (6)

  • 学校という殺人隠蔽組織と、カルト集団との共通点 - yuhka-unoの日記

    【学校が人を怪物にさせる】大津いじめ自殺事件についての内藤朝雄さんのコメント - Togetter いじめ自殺を隠蔽しようとする学校組織や教育委員会は、外部から見ると、ものすごく非常識で、なぜわざわざ不名誉なことを重ねるんだと思うわけだが、腐敗した組織というのは、外部からの視線より内輪からの視線のほうが恐怖になっている。隠蔽が行われる組織は、日の中に、小さな独裁国家があるようなものだ。外部から何を言われようが、その国の国民として生き残っていくためには、内輪の不利益になるようなことはせず、その国の国民らしく振舞わなければならない。その集団に逆らって、自らの良心に基づいた行動を取るということは、集団からの私刑や、外部への亡命を覚悟でしなければならないことになる。内部の人間は、そもそも自分たちがおかしいのだという自覚が無いし、もし自覚があって良心を痛めている人がいたとしても、簡単に言える状況で

    学校という殺人隠蔽組織と、カルト集団との共通点 - yuhka-unoの日記
    e-namazu
    e-namazu 2012/07/25
    連合赤軍・オウム・学校
  • 群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記

    きゃあー、燃え上がってもうたわ http://anond.hatelabo.jp/20110904145941 あれ、何か増田で場外乱闘状態になってる(笑)。まぁ、私が前回記事『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』のコメント欄で書いた >あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。 これは母の功績ではなく、私が自分で努力した結果で、私の功績ですので。 この部分がお気に召さない人がかなりいたってことだよね。これについては、私が以前書いた『「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感』の中に、私の気持ちが書いてある。 冗談じゃない。加害者がやったことはただのいじめだ。そこを乗り越えて立ち上がったのは被害者の功績である。こともあろうに加害者は、この言説によって、厚かましくも他人の功績を横取りしようとする。加害者ばかりでなく第三者が、「その人のおかげで今

    群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記
    e-namazu
    e-namazu 2011/09/07
    「感謝乞食」言い得て妙だ。
  • 「『俺・私は奴隷主だえらいんだ』大会」は、両者の力関係の問題 - yuhka-unoの日記

    「『俺は男だえらいんだ』大会」にはもううんざり、という話 - みやきち日記 http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20110810/p1 この記事のブコメで、「女も同じことやってるじゃないか」という声が多いが、その声の大半は、男がいない時に女同士で自分の彼氏や夫の悪口を言うケースで、元記事のように、わざわざその場に恋人を連れてきて、「こいつをこんなふうに扱える俺自慢」をするのとは全然違う。 で、「女も同じことやってるじゃないか」というケースを考えてみたのだが、これに当てはまるのは、母親による「うちの子こんなにできない子なの自慢」や、姑による「うちの嫁はこんなにダメ嫁なの自慢」になると思う。特に姑のケースはわかりやすいだろう。 つまりこれは力関係の問題だ。力関係が強い立場になると、女も同じようなことをする。 私は前々から、「熟年離婚」と「良い子がキレる」は同じ構造だ

    「『俺・私は奴隷主だえらいんだ』大会」は、両者の力関係の問題 - yuhka-unoの日記
    e-namazu
    e-namazu 2011/09/04
    彼女を後輩に差し出し「こいつの乳揉んでいいぞ」…なにその人間以下
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

    自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記
  • 頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記

    「頭が良い人だと思われたい」という願望を強固に持った人ほど、頭の良さから遠ざかってしまうのではないかと思う。「良い親だと思われたい」という願望を強固に持った親ほど、良い親から遠ざかってしまうように。 なぜなら、こういう人は「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれやすく、自分の感情的な面を認められなくなるからだ。「良い親だと思われたい」人ほど、自分の悪い面を認められなくなるように。 「頭が良い人だと思われたい」という願望は、れっきとした感情なのだ。しかし、「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、この感情を自覚できなくなる。自分の感情的な面はなかったことになり、理屈の下にある自分の感情を掘り起こすより、辻褄を合わせるために正当化の屁理屈ばかりが上手くなってしまう。 「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、自分の感

    頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記
  • 「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感 - yuhka-unoの日記

    『他人からの励ましやアドバイス』にも少し書いたが、私は「辛い経験は糧になる」という言葉に違和感を感じる。 結局、トラウマにしかならない経験だってあるんじゃないのかと思うし、乗り越えられるかどうかは、人の努力ももちろんあるが、運の要素もある。周りの人の助けが得られる環境かそうでないかは大きい。 「辛い経験は糧になる」という言葉が広く世間で言われているのは、基的に、乗り越えられた人しか世間に出て来れないからなんだろう。私の中にも、乗り越えられた部分と乗り越えられていない部分があるが、乗り越えられた部分については、世間に向かって語れるけれど、乗り越えられていない部分については、なかなか世間に向かって語ることはできない。 世間から見えるのは、乗り越えた人だけ。結局トラウマにしかならなかった人は、世間からは見えないということだ。 それから、「辛い経験は糧になる」という言葉は、『元いじめられっ子の

    「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感 - yuhka-unoの日記
    e-namazu
    e-namazu 2011/06/15
    「基本的に、乗り越えられた人しか世間に出て来れないからなんだろう。」
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