中村改革が生んだ最高傑作「マーケティング本部」 「国内家電営業体制の改革」と並んで、もう一つ見逃せないものがある。 それは、松下電器が創業以来初めて組織名に「マーケティング」の名を冠した「パナソニックマーケティング本部」と「ナシナョルマーケティング本部」の設置である。 その後、2003年12月の松下電工の子会社化を受けて、ナショナルマーケティング本部を、ナショナルアプライアンスマーケティング本部とナショナルウェルネスマーケティング本部に分割。現在は、パナソニックマーケティング本部を含めた3本部体制となっている。 事業部と営業の“主従関係”を破壊 筆者の個人的な感想だが、中村改革の肝は、このマーケティング本部の設置にある。 もともと事業部制を敷いていた松下電器では、製品開発を担う事業部の力が強かった。いや、強いというだけではない。「事業部が開発した製品は、どんな製品でも絶対である
――昨年1月の社長就任と再生計画(2005−07年度)の発表から1年余りが経ちました。振り返ってどう評価していますか。 益子 もう1年、早かったなというのが実感です。就任2カ月後の3月30日に国土交通省に(リコール問題警告書への)回答を提出してケジメをつけ、過去との決別を図ったうえで、再生計画の初年度に入りました。再生計画については多分、多くの方が懐疑的にご覧になったのだと思います。しかし、われわれも自信満々だったということではありません。ひとつひとつ懸案事項を片付けて行きながら、7月あたりから少し手ごたえが感じられるようになりました。 8月にはタイでピックアップの『トライトン』の新モデルを発表し、これも良い手ごたえでした。国内の新モデルは10月に『アウトランダー』、今年1月に『i』と予定通りに出すことができました。また、資金計画についても1年前に公表していた計画どおりに進み、全体として、
親愛なるアッティクスへ 織田信長という人は主語や述語を余り述べない人だったようで、家臣たちにとっては、何を言っているかよくわからない困った上司だったとか・・・。 まあ、こういう、頭の回転が常人以上で、行動力もずば抜けた人であれば、さもありなんという気もしますが、頭の回転に口が付いていかず、また、それがわからなければ感情を行動に出してしまう、とんでもない上司ですから、家臣たちも迂闊に聞き返すことも出来ず、大変だったでしょうね。 で、これについて、思い出した話があります。 昭和30年代だと思うのですが、ある財界の大物社長がいらっしゃったそうですが、残念ながら何を言っているか、よく、聞き取れない人物だったそうです。 で、それがわかったのが、唯一、後にその会社の社長となった、ある人物だけだったそうで、この人は、「何で、アナタにだけわかるの?」と聞かれるたび、「そんなもん、スワヒリ語だと思えば簡単さ
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