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ヘイトスピーチに関するebmgsd1235のブックマーク (4)

  • 読書メモ:『ヘイト・スピーチという危害』ほか - 道徳的動物日記

    davitrice.hatenadiary.jp 前回に引き続き、来たる6月13日の「左からのキャンセル・カルチャー論」トークイベントに向けて、表現の自由というトピックに関して復習中*1。 最近に読んだり再読したりしたは以下の通り。 ヘイト・スピーチという危害 作者:ジェレミー・ウォルドロン みすず書房 Amazon 「表現の自由」の明日へ:一人ひとりのために、共存社会のために 作者:志田 陽子 大月書店 Amazon 「表現の自由」入門 作者:ナイジェル・ウォーバートン 岩波書店 Amazon ウォルドロンと志田のはどちらも初読。前者はアメリカの法哲学者が書いたものでヘイト・スピーチ規制がはっきりと打ち出されているもので、後者は日の憲法学者が判例や事例を紹介しながら法律上の「表現の自由」の意義と実際の運用について解説したもの。ウォーバートンのについては以前にもこのブログでメモを取

    読書メモ:『ヘイト・スピーチという危害』ほか - 道徳的動物日記
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2023/06/06
    市民同士とはただ単に同じ社会に生活しているのではなく共に「協働の冒険的企て」に参加している仲間であるという理由から他の市民に対して尊敬や関心を示すべき。このウォルドロンの議論を全面的に支持できるか否か
  • ヘイトスピーチと言論の自由につき思いつき - shinichiroinaba's blog

    生煮えで恥を晒すところが多いがちょっと書いてみた。 == 応用哲学会のシンポで若い人たちが報告したヘイトスピーチの言語哲学的解剖はとても面白くて論文になるのが待たれるけど、帰りにちょっと大庭弘継君と話した通りいろいろ難しいところもある。 言語行為論を用いてヘイトスピーチを発話行為であり、通常「言論の自由」が想定している発話と行為の切断、行為から切断された独立の言論空間の設定を悪用したものである、という指摘はたしかに正しい。言論の自由が前提としている言論空間の中では、たとえ大量殺戮の計画とそれについての討論であれ「決してそれが実行に移されることはない」という前提が確固として守られるのであれば、当然に許容される。ヘイトスピーチについても同様の論法がある程度は可能だろう。すなわち、それが実生活における差別行為を伴う、帰結することがなければ、だ。ところがいわゆるヘイトスピーチはこの境界を侵犯してい

    ヘイトスピーチと言論の自由につき思いつき - shinichiroinaba's blog
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2017/05/08
    ヘイトスピーチの言語哲学的解剖。ネットによって気軽に匿名的な実存の開示として「便所の落書き」がまかり通るようになった。発話と行為の切断は無理筋。表現(言論)の自由という実践。全てがフィクションになる。
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    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2016/09/21
    弱者と強者、マイノリティとマジョリティ。「強い者いじめ」はないけど強者へのヘイトスピーチはある。脱線、『僕の美しい人だから』はいい小説でしたね。映画はイマイチ。作者のグレン・サヴァンは逝ってしまった。
  • 日本では「一般市民の日常生活を狙ったヘイトスピーチデモ」が野放しにされている - ボン兄タイムス

    去年ごろから国会やマスメディアではヘイトスピーチデモをめぐる議論が盛んに行われている。しかし、どれをみても一調子な繁華街で公然と行われる民族差別という切り口ばかりであり、当に恐ろしい問題点について、全く触れられていないでいる。 それは、ヘイトスピーチデモ隊が個人を標的したデモ活動を平気で行うということだ。そして誰も逮捕もされないのである。 これは、あるヘイトスピーチデモの動画だ。 デモ隊数十名が過激な言動を繰り広げ、騒乱状態に陥っているという特徴は、新大久保などで行われるデモと同じだ。しかし、よく見てほしい。 このデモは、住宅街の路地裏で行われているのだ。 ヘイトスピーチについて批判的な主張をしているネットジャーナリストに対する抗議として行われたもので、参加者は複数の関連団体によって動員されたようだ。 動画の冒頭のマンションはそのジャーナリストの事務所が入っているという。しかし、入居者

    日本では「一般市民の日常生活を狙ったヘイトスピーチデモ」が野放しにされている - ボン兄タイムス
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