「表現の自由」はなぜ必要か 昔、ぼくがまだ大学院生だったころ。大学のゼミで「表現の自由」はなぜ必要なのかを議論したことがあった。 ぼくは「表現の自由」や「言論の自由」は基本的人権の一部であり、それは不可侵だと主張した。しかし、たとえば戦争などの緊急事態にあるとき、国家はどこまで人権を保証することができるだろうか?戦争が始まってしまえば勝利こそが最優先課題であり、とにかく国民の一致団結が不可欠である。そうした状況下では国民の士気を損なうような言論は制限されてしかるべきではないか?そのような主張にぼくはうまく応えることができなかったように思う。 情報システムとしての国家 この問題について、ぼくがこれまでで最も強い説得力を感じたのが、カール・ドイッチュが『ナショナリズムと社会的コミュニケーション』で展開している議論だ。ちょっと堅苦しい言葉が並ぶけれども、ここで言っていることは難しくはないと思う。