ってことじゃないのかな、本当に言わなきゃいけないのは。 要するに、「サバルタン」としての「いじめられっ子」をどう語るのかということではないかと思うんだけど。 http://d.hatena.ne.jp/ittuan/20061112/p1 対処の方法が「他者がいじめられっ子にコミットする」だけでは、逃げ場の創出としては片手落ちなのではないだろうか。 前段で「いじめ」をその行為主体の内面問題として語ること、そして安易な犯人探しと魔女狩りを否定し、「いじめ」を一種のパワーゲームとして認識しているのにも拘らず、その対処を別の主体の行為に賭けてしまうのはリスクが高すぎると思う。 問題なのは「いじめ」をどう語るか、なのではないか。 例えば「いじめられっ子」が「自分がいじめられている」と語るとき、その「語ること」自体もの凄いストレスになる。なぜなら、未だに「いじめ」は「いじめる側」と「いじめられる側」