60年安保で想い出すこと 大学の1回生の1年間だけ通った宇治の分校を、半世紀ぶりに訪ねて行ったときのことは、すでにこのブログで書いた。その文章の流れで書いておけばよかったものを、そのときはややもすると懐旧の思いにかられるあまり、あらかじめ書きたいと思っていたことを書かないままで終わってしまった。そのことが、ずっと気にかかっていた。あの訪問記はあれはあれで一つのことがらであり、今回書くこともこれはこれでまた別の一つのことのようでもあったし。二つを一つにするのは、正直言って、ぼくの力に余る感じがしたのだった。 今回、そのことを書こうと思う。じっくりと考えてみたいテーマは、さらにもう少し先にあるので、この文章は、そこへとたどり着くための廻り道なのかもしれない。が、道はつながっているはずだし、仮につながっていないかのように見えたとしても、結局はつなぐことができる。ぼくとしては、そういう思いで始めた
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