Q いわゆる従軍慰安婦に関する官房長官談話(河野談話)が今、問題になっていますが、この談話が出された経緯を教えて下さい。 A 宮沢内閣当時、当事者による訴訟の提起や宮沢総理の韓国訪問時に盧泰愚大統領からの問題提起などがあり、関係諸国などから強い関心が寄せられました。 そのため1991年12月より、いわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかを、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省がそれぞれ調査し、その結果を1992年7月6日に内閣官房内閣外政審議室がとりまとめ、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」として発表しました。 それによると、(ネット上に資料がないので下記引用します。誤字脱字があったらお許し下さい。) 「慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日本軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないた
ダンツィヒのポーランド郵便局の攻防は、ダンツィヒ(現在のグダニスク)で行われた、第二次世界大戦のドイツによるポーランド侵攻における初戦の戦いの1つである。1939年9月1日、ポーランドの市民がドイツのSSと秩序警察の特殊部隊(ダンツィヒ警察)の攻撃に15時間にわたって持ちこたえた。降伏後、4人のみが逃走に成功し、残りの生存者はナチス・ドイツの裁判所において死刑判決を受け、パルチザンとして10月5日に処刑された。 ポーランド郵便局の3番目の建物(後に1番目となり、1939年の戦闘がおこなわれた)、1925年 自由都市ダンツィヒのポーランド郵便局(Poczta Polska)は、1919年にヴェルサイユ条約の元に作成され、その建物はポーランドの資産で治外法権であるとみなされていた。 ダンツィヒのポーランド郵便局はいくつかの建物からなっていた。1930年の時点では、旧市街にあるヘヴェリウシュ・ス
1945年5月、大分、熊本両県境に墜落したB29搭乗の米兵8人が次々と旧九州帝国大(現九州大)医学部に運ばれ、やがて死亡した。連合国軍総司令部(GHQ)が「類例ない野蛮さ」と表現した「九大生体解剖事件」。医学生として立ち会った福岡市の医師、東野利夫さん(86)は何を目撃し、何を思ったのか。「戦争は人を狂わせる。悲惨と愚劣しか残らない」。67年後の今、東野さんは改めて平和の尊さを訴える。 東野さんは1945年、同大医学部に入学。約1カ月後、配属された解剖学教室で、事件は起きた。「手術する場所を貸してほしい」。外科医から解剖学教室の教授に連絡があった。数日後、米兵の捕虜2人が運ばれてきた。麻酔がかけられ、肺の手術が始まった。透明の液体が体内に入れられたが、その液体が代用血液として試された海水だったことは後に知った。 実験手術だった。軍の立ち会いの下、4回にわたって8人に上り、うち2回を目撃
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