タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

ニュースと歴史に関するedoruneのブックマーク (7)

  • asahi.com(朝日新聞社):江戸時代の経本、実は奈良時代の写経だった 薬師寺 - 文化

    奈良・薬師寺は1日、寺所蔵の大般若経(だいはんにゃきょう)47冊が、奈良時代に書写された経巻を再構成した「永恩経(えいおんきょう)」の一部とわかったと発表した。元は巻物だったが、江戸時代に折りに仕立て直されたらしく、これまで江戸時代の経とされていた。永恩経は約40巻しか見つかっておらず、重要文化財級の発見という。  永恩(1167〜?)は鎌倉時代を生きた奈良・興福寺の僧で、奈良〜平安期の経巻を集めて大般若経全600巻の再構成に取り組んだ。永恩経の大半は散逸し、京都国立博物館の2巻が重文指定されている。  今回、永恩経とわかった経は、1冊が縦25.6センチ、長さは折り目をならすと8〜10メートル。昨年9月、巻末の「奥書」に朱書きされた永恩の署名から「永恩経」と判明。筆跡などから、奈良時代の写経と判断された。  薬師寺宝物管理研究所の稲城信子研究員は「奈良時代の写経の発見は奈良でも数例。

  • モスクワは1000歳以上?古代の硬貨見つかる

    モスクワ(Square)の赤の広場から見上げる青空(2010年8月13日撮影、資料写真)。(c)AFP/NATALIA KOLESNIKOVA 【9月3日 AFP】ロシアの首都モスクワ(Moscow)は今週末、863歳の誕生日を迎えるが、モスクワで古代の硬貨が見つかったことから、ここにきて「実年齢」に疑惑の声が上がっている。 インタファクス(Interfax)通信は2日、モスクワで古代の硬貨を発掘したとする考古学の重鎮アレクサンダー・ベクスラー(Alexander Veksler)氏の話を伝えた。 「モスクワはまもなく863歳を迎える。歴史に刻まれた日だ。だが、この日よりもっと古いものが見つかった」 同氏によると、硬貨は1000年以上前のものだという。「つまり、モスクワの1000歳をもうとっくの昔に祝っていなければならない」 モスクワの起源は、ユーリ・ドルゴーキー(Yury Dolgoru

    モスクワは1000歳以上?古代の硬貨見つかる
  • 「続日本紀」登場の人工池か、熊本で遺構出土 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    県教委は9日、熊市池上町の池辺寺(ちへんじ)関連遺跡で、池の遺構と赤色の鉄製の矢じり、矢じりを差し込む竹製の矢柄が見つかったと発表した。遺構は、平安期の「続日紀」に登場し、池辺寺の名前の由来になったと伝えられる伝説の「味生池(あじうのいけ)」の可能性があるという。 続日紀には、奈良時代の国司・道君首名(みちのきみのおびとな)が和銅年間(708〜715年)に築いたとの記述があり、干害対策として国を挙げた公共事業だったとみられるが、これまで場所は未確認だった。 遺構は約200平方メートルで、池の一部とみられる。排水施設など人工池であることを示すものは見つかっていないが、文献などで推定されていた地域と重なるという。 矢じり(約10センチ)は約1200年前の平安時代初頭のものとみられ、池の遺構から出土したのは、全国初のケースという。赤色は、サビの可能性もあるが、顔料(ベンガラ)による塗装だっ

  • ローマ帝国:共同墓地から東アジア人?の骨発見 - 毎日jp(毎日新聞)

    イタリア南部バリ県の古代ローマ時代の共同墓地跡で、DNAに東アジア系の特徴を持つ人骨が見つかり、カナダのマックマスター大の研究チームが4日までに発表した。帝国と当時の中国など東アジアとの間に人的交流があった可能性を示す発見としている。ANSA通信などが同日伝えた。 ローマ帝国はシルクロードを通じ中国などとの交易があったが、物資は仲介者によって運ばれ、中国人などが帝国に来たとの証拠はない。 人骨は1~2世紀の男性のもので共同墓地跡から発掘された約70体のうちの一つ。人骨内の細胞内小器官ミトコンドリアのDNAを調べたところ、欧州人にはない東アジア人のDNAの特徴と一致した。男性の墓には供えられた料を入れたつぼ以外副葬品はなく、身分の低い人物だったとみられる。 ミトコンドリアDNAでは母方の遺伝子のみが伝わることから、母系の祖先をたどり、その人物がどの地域の出身であるかを大まかにつかむことがで

  • 4000年前の建築用石灰を発見 甘粛省庄浪県←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)蘭州8日発新華社電によると、石灰を貯蔵した珍しい灰坑が先ごろ、甘粛省庄浪県で発見され、4000年がたっても、内部には未使用の石灰が残されていた。 この石灰を貯蔵した灰坑は、新たに見つかった大嘴梁遺跡の中心部で発見され、灰坑内には高さ40センチ、幅30センチの石灰が堆積していた。見つかった石灰は粒子状で、黄白色で、固く締まっていて、現在の建築材料の石灰と基的に同じだった。 庄浪県で第3次全国文化財調査を行った李暁斌隊長は次のように述べた。これらの石灰は、当時の住民が住宅の表面を白色に仕上げるための材料で、未使用だ。堆積状態からみて、この地で焼成されたものとみられ、今から約4000年前には、ここで生活していた住民はすでに石灰焼成技術を掌握していた。 大嘴梁遺跡は庄浪県岳堡郷に位置し、今年11月の文化財調査で発見され、面積は約50万平方メートル。李隊長によると、この遺跡は仰韶

  • 地域ニュース | 中国新聞デジタル

  • 石器:国内最古か 12万年前の地層から 出雲・砂原遺跡 - 毎日jp(毎日新聞)

    調査団が日最古の石器とみられる石片と発表した出土品の一部。右端は刃に加工して先をとがらせた尖頭スクレイパー=島根県庁で2009年9月29日、三村政司撮影 島根県出雲市多伎(たき)町の砂原遺跡で発掘調査していた同志社大の松藤和人教授(旧石器考古学)らの調査団は29日、約12万年前の石器とみられる石片を発見したと発表した。全国で前・中期旧石器時代(数百万年前~3万5000年前)の可能性のある石器はごくわずかしか発見されておらず、石器とすれば国内最古となる。調査団は「日列島の人類史の起源を探るうえで貴重な資料」としている。専門家の中には、石器とすることに慎重な意見があり、調査団は範囲を広げて調査を進める。【細谷拓海】 調査団によると、兵庫教育大名誉教授で出雲市の自然地理学者、成瀬敏郎さん(地形学)が先月8日、発掘現場付近で玉髄(ぎょくずい)製の石片(長さ約5センチ)を発見。松藤教授が鑑定した

  • 1