ブックマーク / mah-sokosoko.hatenablog.jp (2)

  • 死のうと決めた人にかける言葉はあったのか - 世界は今日も簡単そうに回る

    2015-05-11 死のうと決めた人にかける言葉はあったのか 散文 twitterで遺言めいたツイートをしていたフォロワさんが当に水に入って死んでしまった。 昨日の夜中にそのことを知って(親族の方がツイートしてくださったので)、それからずっと考えてる。 彼が亡くなるおそらく直前までの一連の遺言めいたツイートをわたしはリアルタイムで見ていた。何かかけられる言葉があったのだろうか。でもまだなんて声をかけるべきだったのかわからない。 彼が亡くなった直後に自分のブログでまるでコンテンツのようにその死を扱うことについては自分の中に違和感がある。けれど整理の意味も込めて、少し書いてみたい。 わたしは、死後の世界があるかどうかについて知らない。死んだら当に全部が終わってしまうのかどうかもわからない。生きているのが辛くて死んだ先がもっと辛くない保証なんてどこにもないと思う。死んだことがないか

    死のうと決めた人にかける言葉はあったのか - 世界は今日も簡単そうに回る
    edusa
    edusa 2015/05/12
    あったのかもしれないけど、答えはその人にしかわからない。
  • 同窓会に二つ返事で「行く」と答えたいだけの人生だった - ぼくが電話をかけている場所

    2015-04-09 同窓会に二つ返事で「行く」と答えたいだけの人生だった 散文 Facebookをやめた Facebookをやめて久しい。いや現実には再登録しているのだが、フレンド100人を超えるボッチ的異常事態から脱すること半年。なぜ知人であるという理由、かつて同級生であったというだけの理由でわたしを放っておいてくれないのだ。どうしてそんなにフレンドリーにカジュアルにフレンド申請してくるのだ。こちとらビビリーだから申請されたらフレンドにならざるを得ない。気付けばフレンドは100人を超えており、やれ結婚だやれ出産だと繰り返すデジャブの日々。慎重そうな同僚が平気で子供の顔を晒すもんだから他人事ながら勝手に気を揉む日々。 いやFacebookでもよいことはあったのだ。10年以上年賀状のやりとりばかりを続けていた高校時代の塾のフレンドとの再会、学部卒業前くらいから会っていなかった語学クラスの

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    edusa
    edusa 2015/04/09
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