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ブックマーク / note.com/yuuuuuiiiii (3)

  • タラレバ娘はどうすれば幸せになれるのか|嘉島唯

    「バンドマンの彼が、あの時もう少し売れていたら」、「映画好きな彼がめんどくさくなければ」、と仮定と後悔を積み重ね、グラスに入ったお酒を飲み干す。 頬杖をついてサーモンに手を伸ばし、不幸自慢をしては自虐ネタに走る。そして、「あ〜、いい出会いがないかな〜」、「胸を焦がすような恋愛がいしたい〜」と左手に持ったグラスをテーブルに戻す。 女友達と気ままに集まっていたら33歳になっていた。それが「東京タラレバ娘」だ。 タラレバ娘になりたかった仕事に奔走し、不器用な恋愛に走る彼女たちは、あまりにリアル…ではなく、少し憧れの存在だった。 私の母は専業主婦だったし、同級生も似たような家族構成が主だった。今でこそ、仕事と家庭を両立させる女性が増えてきたけれど、私の身近な女性は「仕事を辞め、家に入る」道を選んでいた。 多分私だけではない。男女雇用機会均等法は1985年に制定、翌年施行された。そのため、アラサーの

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  • 社畜女子の呪い|嘉島唯

    かつて私は社畜だった。そして、死にたかった。 でもこの言葉を何度も頭で唱えては、生にしがみついていた。 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。 平塚らいてうが1911年、「青鞜」創刊時に寄せた文章だ。 「パステルカラーの服を着た方がいいんじゃない?」私は男性に負けないくらい働きたいと社会に出たものの、22〜24歳の間、ずっと自殺を考えていた。以前「『これだからゆとりは』で死ぬ場合もある」というnoteに書いたが、適応障害になったのだ。 原因の1つは長時間労働だろう。仕事の量も多かったが、誰よりも努力すれば結果が返ってくるものだと勘違いしていた。加えて、自分を犠牲にして働くことでしか、存在意義を見出せなかった。 拍車をかけたのが、ジェンダーのコンプレックス。「女だから実力が正当に評価されない」

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  • ワセジョという幻影|嘉島唯

    きまじめで融通がきかず、きさくでけなげできかん気で、なまじ男子よりもあたま回転がはやいものだからバカを愛でることを知らず、かといって個性と特性と天性をくべつできるほどの世知もなく、理想のなにものかになれるものなど学年にひとりいるかいないかなのに、このわたしこそがひとかどの人物にならなければいけないし、なれるはずだという幻想から逃れられず、映画と演劇と文学に造詣があるふりをしつづけ、過か拒におちいりがちなここにいるしんどい娘たちは、ワセジョと総称される。 これは清水博子さんの小説、「Vanity」の一節だ。「ワセジョ」とは、いわゆる早稲田大学に通う、または通っていた女学生たちを指し、彼女たちはこのようなメンタリティーを持つとされる。たかが4年間。それもサークルやアルバイトなどバラバラな過ごし方をしている大学で、人のメンタリティは似通っていくのだろうか? 「何者かになりたい」受け皿早稲田大

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