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2012年8月27日のブックマーク (6件)

  • 矢沢久雄の早わかりGoFデザインパターン(1) | 日経 xTECH(クロステック)

    今回は、パターンを1つだけ紹介します。「Mediatorパターン」です。GoFでは、それぞれのパターンの「目的]「背景」「効果」などが明示されています。私も、ちょっと真似をしてみましょう。複数のオブジェクトを組み合わせてプログラムの機能を実現するという目的において、オブジェクト間の関連がゴチャゴチャになってしまうという背景(問題)があり、Mediatorパターンの採用によって関連をキレイに整理できるという効果があります。説明だけでは、何のことだかわからないと思いますので、具体例をお見せしましょう。 図1[拡大表示](1)をご覧ください。これは、UML(Unified Modeling Language、ユーエムエル)と呼ばれる表記法で記述されたプログラムの設計図です。UMLでは、四角形の中に下線付きで名前を書いてオブジェクトを表し、関連のあるオブジェクトを矢印で結んで示します。ここで関連

    矢沢久雄の早わかりGoFデザインパターン(1) | 日経 xTECH(クロステック)
  • http://smartphone-zine.com/mobile/android/android-introduction-03.html

    einherjar
    einherjar 2012/08/27
    電卓 計算機
  • 電卓アプリの状態遷移図

    電卓アプリケーションを構築するにあたり、状態遷移図というキーワードをヒントとしていただきました。 そこで、状態遷移図なるものを調べて、実際に図としてみました。 何回かボツ稿を作ってしまいましたが、ようやく見れるものが出来たのがこちら↓です。 初めて作った割には結構自信作w 状態遷移図とはプログラム実行中のある状態を起点に、イベントに応じた状態の変化(変動)をモデル化したもののようです。 ( 間違っていたらご指摘ください。 ) このブログをご覧のみなさんにとっては既に周知の事とは思いますが、たいへん素晴しい方法を教えて頂きました。 この意味もなく自信満々の状態遷移図を基にコーディングしようとしたのですが、私の作成した状態遷移図では不足している箇所があるようなので、加筆修正をしながらこれからコーディングに移りたいと思っています。 …って、既に今日は7月11日 ま、間に合うのか!? 締め切りに!

    einherjar
    einherjar 2012/08/27
    計算機 電卓
  • [スタパ齋藤の「スタパトロニクスMobile」] あの「透明ディスク式スタイラス」が筆圧対応に プリンストン「Jot Touch」

    einherjar
    einherjar 2012/08/27
  • “お絵かきデバイス”としてのiPadを次の次元に――画期的な筆圧対応スタイラス「Jot touch」を使う

    さて、実際にいくつかの対応アプリでJot Touchの筆圧感知機能を使ってみたが、力の加減によってちゃんと線の具合が変わる。ただ、1024、あるいは2048レベルの筆圧感知ができるような高性能ペンタブレットを使っているユーザーが、同じようなフィーリングをJot Touchに求められるかというと、そこまでの期待は禁物だ。筆圧の感知にはちょっとクセがあり、ペンを動かす速度が速かったりすると、上手くコントロールできない時もあった。 しかし、力の強弱で線を調節できるのはやはり便利。できあがったイラストにも、線の強弱が作り出すアナログっぽさが確かにあると感じる。アプリによって書き味もいろいろなので、自分にとって使いやすいアプリを探すといいだろう。 ペンとiPadのペアリングは、一度設定してしまえば後はペンの電源を入れるだけ。自動的に接続してくれるので簡単だ(もちろんiPad側のBluetoothが有

    “お絵かきデバイス”としてのiPadを次の次元に――画期的な筆圧対応スタイラス「Jot touch」を使う
    einherjar
    einherjar 2012/08/27
  • 【正論】東洋学園大学教授・櫻田淳 「対韓温情」姿勢を変えるときだ+(1/4ページ) - MSN産経ニュース

    筆者は、20歳前後の頃、『ジャパニーズ・マインド』(ロバート・C・クリストファー著、徳山二郎訳、講談社、1983年)という書を読んだことがある。それは、80年代に日の経済隆盛を受けて出された多くの「日論」の一つであった。 ≪竹島上陸に見える甘えの構造≫ 書中、若き日の筆者に強い印象を残したのは、「日人のナショナリズムに一旦、火が点(つ)いたら、もはや手が付けられない」という趣旨の記述であった。この書が書かれた頃から30年の時間がたった今、「日人のナショナリズムは、手が付けられない」という往時の観測が正しいのかと問いを発するのは、大事であろう。 特に中国韓国では、政治指導層にせよ一般国民にせよ、日の「ナショナリズム」はどのようなものだとみられているのか。彼らは「怖い」とみているのか、「大したことがない」とみているか。これが今後の東アジア情勢を観察する材料にはなるであろう。 という