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2006年3月4日のブックマーク (10件)

  • 僕の考えるブログ文章術(その1) - mhkのブログ

    米光一成さんの連載「ブログ文章術」:http://blog.excite.co.jp/blog-jutsu/979930/ を読んでふと思うところを書いてみました。 あなたはブログに何を求めていますか? ブログの文章がどうのとか考える前に、まずブログを書くことで、自分がどうしたいのか、その欲求を自覚するところからはじめましょう。 しあわせになりたい。 いかんせん漠然としています。もうすこし具体的に考えてみましょう。 ブログを通じて、趣味の合う友人を作りたい。 ブログを通じて、自分の意見をたくさんの人に伝えたい。 ブログを通じて、カリスマブロガーになりたい! 「趣味の合う友人が作りたい」と考えているあなたに質問します。 今現在、ブログを通じて知り合った友人の数はどれくらいいますか? 20人くらいはいる。 そんなにはいないなあ。 はじめたばかりで、ひとりもいません。 「20人くらいはいる」と答

    僕の考えるブログ文章術(その1) - mhkのブログ
  • Simple: 沈黙のオーディエンス

  • アクセスカウンタを付けない理由 - 技術系サラリーマンの交差点

    このブログにも 館ページ にも、アクセスカウンタを付けようと思ったことがない。一番大きな理由は、手軽によそのサイトと比べられるのがいやだから。 でも自分自身はアクセス数を知りたいから、館ではアクセス解析を使っているし、このブログは BlogPeople のログイン画面で確認している。 私の場合、累計アクセス数はほとんどどうでも良くて、日ごとの変動が知りたい。感覚的にこの程度と思っている自サイトの平均水準に比べて、多いか少ないか。どんな話題を書いているときによく読まれるのか。こういう目的のためには、リアルタイムで累計が刻まれていくカウンタよりも、BlogPeopleのように「昨日のリンクリスト配信回数」が一日に一回更新される方式のほうが便利だ。(ただし、読みに行くのを忘れた日の分は消えてしまう。) 読者との交流という意味では、アクセスカウンタはいいなとも思う。一回一回の訪問に対して個別の

    アクセスカウンタを付けない理由 - 技術系サラリーマンの交差点
  • ゆずゆの悪戯 - パクリ騒動

    ブログを読む機会が増えると、何度か遭遇するパクリ騒動。 きちんと手順を踏んで引用という手法を使えば、 自分以外の人の考えた文章や思いを自分のブログに掲載ができるのにと思います。 卒論や研究発表の作成の時、『論の中身は期待しないが、引用や参考文献の表記だけはきちんとしないと容赦しない』 ときつく言われませんでしたか? たいていパクリ記事といわれるものは、 ・ 引用元が記載していない不手際 ・ 誰の目にもパクリでも、自分のオリジナルと押し通してしまう ・ パクって何が悪いと開き直る のパターンでしょうか。 平気で人の考えや思いをパクってわがもの顔でいられる神経の持ち主に対して それを見て不信を抱いたり、注意を促しても理解してもらえないかもしれません。 自分のものと人のものの見境が付かない人に道理を言って聞いてもらえるかもわかりません。 そのうち、【自分以外の人の文章をブログに記載する時は、正し

    ゆずゆの悪戯 - パクリ騒動
  • http://uzumakinekozo.seesaa.net/article/14102304.html

    ekken
    ekken 2006/03/04
    スパマー予備軍発見
  • 「ランキングサイト」が大嫌いな理由 [絵文録ことのは]2006/03/04

    去年の11月26日、銀座で開かれたブロガー異業種交流会で、私はパネラーとして「嫌いなのはランキングサイトに誘導するブログ」と強調しまくっていた。実際、ランキングサイトへのリンクがついているだけで、そのブログは価値がないと思ってしまう。もちろん、実際には、ランキングがついていても優れた内容のブログは多いはずだが、どうしても嫌悪感が先走ってしまう。 なぜ私はこれほどまでにランキングサイトが嫌いなのか。それは、ランキングが「読者のため」ではなく「著者のため」にあるからだ。そして、それはアフィリエイトと違って、読者に何らかの価値を提供する余地がほとんどないと思う。 ■アフィリエイトを肯定する理由 かつてネットでは「ネットで金儲けはいやらしい」という常識が蔓延していたが、今世紀に入ってからはじわじわとその意識も変わり、特にブログブーム+アフィリエイトで完全に価値観は変わってしまった……という話は、す

  • 今更ネガティブブクマコメント論 - akiyan.com 管理人メモ

    公共の場で発言するなら批判を受ける心構えをもてとか、嫌なら見なければいいとか、どれもたしかに理屈は通ってます。正直自分もそう思ってたし、覚悟できてたつもりでした。でもいざ強烈なタグとコメントを貰うとそんな理屈は吹っ飛びます。あるていどの強さと信念があれば受け入れられますが、それを持ち得ない人が大量のネガティブコメントを貰ったら感情的な行動に出るのはそりゃそうだよなと思いました。人は感情を持った生き物。動機としてもっとも強いのは感情によるもの。そこのところを第一に考えないとね。自戒、自戒。

    今更ネガティブブクマコメント論 - akiyan.com 管理人メモ
  • 絵で見る「はてなダイアリーの内輪っぽさ」の仕組み - シナトラ千代子

    ここではダイアリーとブログを区別せずに書く。 視線はどこへ向いている? 一般のいわゆる「ブログ」では、エントリとその書き手があって、「ブログが読まれている」とは以下の図のような状態のことを指します。左側が読み手です。 書き手が飼い主、エントリは飼い犬となります。飼い犬の足が短いのは気にしないでほしい。 これらのエントリ・書き手について言及がされる場合、以下のパターンが主なものになります。 エントリにコメントをつける 書き手への言及を含めたコメント(挨拶など) エントリを元に書き手への言及(「感じ悪い」とか) エントリ同士のやりとり(トラックバック) もちろんこれがすべてではありません。 はてなの場合 さて、はてなダイアリーの場合、上記の例に加えてidトラックバックという言及の方法があります。これはほかのブログサービスにはありません。 仕組みは文中に「id:ユーザー名」と書くだけでトラック

    絵で見る「はてなダイアリーの内輪っぽさ」の仕組み - シナトラ千代子
    ekken
    ekken 2006/03/04
    シナ千代さんは、分かりやすいエントリを書く代表格だな。
  • 書く文章は誰のため?

    ネット上に書く文章、誰のために書いていますか? 『斬(ざん)』:文末について考えるを読んで、考えさせられたことを膨らませてみたいと思います。 ■文体の違いと文章の印象 『斬(ざん)』:文末について考えるは、souryuuseiさんが全く同じ内容の記事を文体を変えて二つアップするという実験を行い、自ら考察を加えたものです。 僕も、ブログでは記事によって、文体を「だ・である」調にしたり、「です・ます」調にしたり、使い分けているわけですが、皆さんはどのように感じていらっしゃるでしょうか。 僕自身の感触としては、前者に比べて、後者のほうがアタリが柔らかく、とっつきやすい感じがするのではないかと思っています。感想などのコメントも書きやすそうな雰囲気がありますし、実際にコメントが多い記事は、「です・ます」調のほうが多いんですよね。一方、「だ・である」調の文章には、堅苦しいイメージがあり、内容によっては

  • 思考ログ簡略版: あんたジャージでどこ行くの

    ・物事はどんどん複雑になる。 ・しかし、それは単純な物の絡み合いや重なり合いでしかない。 ・複雑な物は、細分化すれば単純になる。 ・細分化という作業は、比較的容易だ。 ・もっと重要で難しい問題は「単純な物がいかにして成り立っているか」と言うことだ。 ・私がこわい人で、絡むのには勇気が要る、というのは、以前から承知している。 ・「こわい人」であることを売りにするほど、僕は良い人ではなく、大人でもない。 ・しかし、それはそれで僕のキャラクターなので、ある程度肯定的に受け止めている。 ・要らん批判はするなという意見もある。 ・しかし、僕は言わなくても良い場でも「これはつまらない」と言う。 ・正直に「つまらない」と言わない人の、「これは面白いよ」という言葉は信用に値しない。 ・「おいしい」と「まずい」と同じだ。 ・テレビに出てくるレポーターの「おいしい」という言葉を、誰が信用するのだろうか。 ・他

    ekken
    ekken 2006/03/04
    "正直に「つまらない」と言わない人の、「これは面白いよ」という言葉は信用に値しない"同じく。