Webデザインや配色に役立つ(かもしれない)テクニック、便利なツールを紹介しています。 /*無駄にエロいのは仕様です*/ 01 About 02 Blog 03 Color 04 Design 05 Love 06 etc どんなポリシーを掲げようとその人の自由だと思いますが、ブログポリシーにリンクフリーと書いてあるのにも関わらず、一言メッセージに「無言でのファン登録おことわり!」とあるブログがありました。 一体、この矛盾は何でしょうか…? ※ファン登録とは、Yahoo!ブログのユーザー同士が1クリックでお気に入りに追加できる機能で、リンク行為と同じことだとわたしは考えます。 ☆(キラッ)と光るブログを作ろう!を読む前に…:☆(キラッ)と光るブログを作ろう!(該当記事削除) こんな人がHow-To系ブログをやっているとは、正直あきれてしまいます。 Marchinさんはこのブログポリシーを作
前回のエントリー「トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか [絵文録ことのは]2006/01/06」は大きな反響を呼び、それぞれの文化圏に属する(あるいは属さない)人からそれぞれの反応が得られた。 面白いのは、「言及リンク文化圏」「関連仲間文化圏」のそれぞれで、「そういう別の考え方の人がいたとは知らなかった」とか、「(言及リンクは)なぜそんなに堅苦しく考えるのか」「(関連仲間文化圏は)やはり理解できない」といった反応が出てきたことだ。まさに文化衝突(あるいは文化交流)であるという感を強くした。 さて、いくつかの点で、こちらの表現不足、あるいは誤解を招く言い方があったようなので、補足しておく。補足のくせに長文なのは許してください。仕事用原稿じゃないので短くまとまらない。でも新書版単行本換算で15ページ分くらいだから、それほど長いというわけ
まとめ IDトラックバックは文字通り「人」へのトラックバックである。 その意味は通常、その人の特定記事の内容ではなく、その人物の普段の言動・性格・人柄・blog外での会話内容など、blog記事から見ればメタな内容への言及ないし関連である。 blog記事からこのメタ情報にTBを送信する方法はなく、個人の特性をweb上で最も強く反映するのがblogであると考えられるため、IDトラックバックはblog世界から欠落した情報を埋めるTBとして比較的適切な方法ではないかと思われる。 はてなダイアリーには、id:daresoreと書くと、daresoreさんのはてなダイアリーにリファラというか言及通知が表示されるようになっている。これは「関連仲間文化圏」的な使い方ができるし、実際、私も「記事」ではなく「人」に呼びかけるつもりのときはこれを使う。 しかし、これが気持ち悪くないのは、相互リンクができているか
『[モヒカン] 『モヒカン族はなかった』を読みましょう。』 →読みました。結局は上と同じで破綻している、ということですね。しかし実際存在するのになかったというのは私の流儀ではありません。 『[mohican][otsune]さんの詭弁に翻弄されているなぁ。「真のモヒカン族」なんて存在しないのに。モヒカン=ムラビトは白か黒だけでは語れないことを指摘する人はいないのか?』 →翻弄、という程でもないんですけど、一般の人が「モヒカン族ってなんだろう」と思って多分一番初めにたどり着くであろう言葉がモヒカン族とは関連がない時点で破綻しているんだな、と思って納得しました。そういうことになっているならそれで良いではありませんか、と思いますが、かといえども自称反案山子族たる私としてはヤリ玉に挙げられた恰好のムラ社会住人さんがいささか気の毒でもあります。そして私のモヒカン族云々に関する知識はゼロに近いです。こ
ざっと読んだところおおむね同意できたため、g:mohicanのキーワードへのリンクを開始しました。 グループ専用ツール使う気はなく、キーワードさえ使えりゃいいんだけど、参加も一応しとこうかな、思案中。 追記:どうも自分はイロコイ族だったらしい。止めておこう。 方法 エントリのタイトルを命令形にする。 影響 自分がうんこあるいはハンドアックスを投げる気満々(というか投擲済)である事を明示的に示す事で、宣戦布告色が(意図は別として)強く出る。 議論の目的は命令(ぼくのかんがえた「あるべき姿」の提示)に行き着くことが多いので、要約しすぎると自然とこうなる。 なぜそういう命令が発せられるかの理由をタイトルにした方が合理的。 よいこのみんなは理由付けの論理展開が極めて想像しやすい場合のみの使用にとどめよう! 「〜すべき」というタイトルを付けるよりは潔い。 ムラ的には高圧的な態度は発言権の高さを示す(
twitterで公式RTをしたあと、なんちゃら>RT として言及するスタイル、あとから前後のツイートを追うのは困難。一方リプライすれば1画面に収まって便利だけど、話しかけられたと解釈する人がいて、トラブルになってるのさっき見た。引用RTはクライアントのせいかアカウントのせいか使えないし、URL貼るのも微妙感ある。 いや、URL貼ると、一時期引用RTの実験とか言ってたみたいな展開されるのか。クライアントからボタン1発でできないのがアレだけど、まあできなくはないか。
これはもうとっくに済んだ話だとは思うけど、いまさらふと思い出したので。 はてなが増えすぎたユーザーをはてブに誘導させるようになって数ヶ月経った時点で、 明らかにトラバは減った。 やっぱユーザー間で並列的にコメントできるってところと、最近では50文字が100文字になったってトコで、さらにまたトラバは減った。 でもそれはまたやっぱり痛し痒しで、今のはてブは囲い込みシステムであると同時に、ハイリスク・ローリターンなストリートファイト状態を作り出しているとも感じる。 この「おいでよ!はてなストリート」には、僕やid:hazama-hazamaさんやid:kiya2014さんみたいなタチの悪い「待ちガイル」が平然と存在していたり、モヒカンヘッドのヨガマスターが「ヒャッホー!ネタだネタだー!![揉め事]もたっぷりあるぜーー!!」と口から火を吹いて焼きまくっていたりすることを、 せめて、飛び込んできたば
酒井泰斗氏経由で、 松永英明 「修正しました。ウェブの二つの文化圏の衝突【前編】無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理」 http://kotonoha.main.jp/2006/01/05weblink.html 「ウェブの二つの文化圏の衝突【後編】ネガティブリンクと批判する側・される側の論理」 http://kotonoha.main.jp/2006/01/05negativelink.html を知る。 「前編」の方では、松永氏は、ウェブのリンク問題を巡って、「リンクフリー文化圏」と「相互リンク許可文化圏」の2つの文化圏を区別する*1。 リンクについて開放的……とは、いわゆるリンクフリー主義者、ウェブのバリバリのユーザー的な発想である。もともとWWW(ワールドワイドウェブ)とは、アンカーリンクという機能によって成り立っているのだから、リンクは自由であって当然だし、ウェブ
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
いったい10年前から何回この話題はループしたら気が済むねん、という勢いで論争が繰り返されているのが、「無断リンク禁止」と「ネガティブリンクへの対応」の問題である。 ここ数日、はてなブックマークで急に話題になっているのが、「日本一わかりやすいとまでは言えない「URL晒しがダメな理由」」というページで、このページ自体は2004年秋のものである。 ブログでは外部ページへの参照が活発で、さらにトラックバック機能までついているため、従来の「ホームページ」よりも自由にリンクが張られる傾向にある。そんななか、「儀礼的無関心」問題に始まり、最近の「はてなブックマーク暴言問題」に至るまで、特に「否定的リンク」「観察的リンク」の是非が問われてきた。 この辺の問題について、「リンクする側・される側」「批判する側・される側」の関係でとらえてみると整理できるんじゃないかと思って図を作ってみたのが今回のエントリーであ
(01/05 22:40 追記) この文章の内容に含まれているリンク(トラックバック(Wikipedia))先の文章は書きかけの上、異なる意見も出ている文章です。また、以下の私の文章も偏っている可能性があります。 comment欄*1で指摘を受け、自分も以下の文章や参照した文章は万人の合意を得たものではないと判断したため、上の一文を追加します。ただ、ここやはてブのコメント欄にも既にコメントをつけてもらったりしている文章を書き換えてしまうのはよろしくないという個人的な考えに基づき以下の文章はそのままにしています。 (01/05 22:40 追記終わり) この問題の解説はやはりただただしさんの言及リンクのないTrackBackの何がいけないのかが詳しい。 今回の仕様変更はlivedoorにしては珍しくモヒカン族がこぞって賛成しそうな内容だ。個人的にもこの変更は至極まっとうなモノであると思う*2
大晦日イブの夜、今年10月下旬に発生した日本橋無断リンク事件を振り返ってみたい。 【2005年10月22日(土)】 ブログ「日本橋で暮らすということ」の管理人:reims3(らんす)さんが、エントリにて「むやみやたらと、本名を明かすのも、ほどほどに。」と、Webや電子メールにおける個人情報の扱いについて注意を促す記事を書いておられた。 しかし、らんすさんの公開プロフィールは詳細に記述されており、本名こそ書かれていないものの、数ページに及ぶプロフィールには詳しい経歴や職歴・趣味嗜好などが綴られていた。 そこで私は、「むやみやたらと、経歴を明かすのも、ほどほどに。」と、トラバ送信を行った。 takoponsの意味 - 言動不一致 この↑エントリを読まれたらんすさんは、「あたしのプロフィールを見て個人を特定することはできないわ。」というようなコメントを日本橋ブログ内に残され、常連の方も「大丈夫で
こんにちわ。 該当コメントを拝見していないので、質問者さんの言い分だけを基準にした意見しか言えませんが、質問者さんにとって嬉しかったことを、コメント者は全否定しているわけではないのでしょう?良い部分を認め、あるいは質問者さんと同じ立場に立って良いと認める人も存在することを認めた上でのその方の意見なのでしょう?ならば、その方のコメントは私的には問題ないと思います。それを不快と感じるのは、質問者さんの主観です。たとえば私の回答も、質問者さんからすれば不快と感じられるかもしれません。 公の場での発言には、当たり前の話ですが責任がついて回ります。肯定してくれる方もいれば否定する方もいます。そのどちらをも受け止める覚悟があって初めて公の場での発言は許されるのではないでしょうか。肯定意見だけしか受け付けないのだとしたら、それは単なるわがままであり、そうあって欲しいと願う甘えです。 さてしかし、質問者さ
その時にも思ったのだが、「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。このブログでも、しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している私だが、それを指摘してくれる人には本当に感謝しなければいけない。 間違いを指摘され、指摘することにおいての自分のルールを書いておきます。 間違いを指摘されるために ある程度考えて「もうこれ以上自分の頭で考えても広がりがないな」と思った段階でネタはブログで公開してみる。 コメント、トラックバック、ブックマークコメント等をみて反応を見てみる 広がりがあるなと感じた場合は続編を書いてみる→以降繰り返し 感情的にならない 間違いを生産的に指摘する 間違い等を発見した場合には指摘を心がける 指摘される方法と同様にコメント、トラックバック、ブックマークコメント等で指摘する 上記の使い分けは指摘箇所の多さ、参考文献の必要性などに応じて行われる 自分のバックグ
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