タグ

読み物に関するekshinyahのブックマーク (72)

  • 10th Anniversary party After Blog. : Above Bike Store official web

    ekshinyah
    ekshinyah 2017/07/10
    “拙い話に真摯な対応で理解して貰えた嬉しさと、バイクの種類を知る事が出来た喜び。その店主の経験値の高さに大きく救われました。”
  • 限界の足音|生湯葉 シホ

    Twitterのフォロワーがひとり減って、あれ、と思ったらインスタもひとり減ってて、2日前のLINEも既読にならなくて、あ、切られたって思ったの」 アイスココアをストローでぐるぐるとかき混ぜながら彼女は言う。「切られた」と私がつぶやくと、「うん。音信不通」と射抜くような目でこちらを見た。 よく陽の当たるテラス席だった。友人は彼氏が1年間の交際のなかで一度も怒ったことのない温厚な人だったこと、学生時代のバイト先の先輩であったこと、激務で病を患ってからも変わらずに優しかったこと、ある日の電話を境に連絡がつかなくなったこと--をひとしきり話し終えたあと、通りに目をやって「きょう日差しやばいね。椅子すごい熱い」と笑った。 消えてしまう人、というのはどこにでもいる。 そのころの私は駆け出しのライターで、所属していた小さな会社の社長に指示されるたび、右も左もわからないまま取材先に出向いていた。 あ

    限界の足音|生湯葉 シホ
  • 銀座の隣の「新富」で、東京のよそ者として生きる(著:田村美葉) - SUUMOタウン

    著: 田村美葉 地元の金沢から上京してきたのは2003年の春、18歳のころだが、大学生としての最初の4年間というのは、サークルとか、研究室とか、バイト先とか、随分狭いコミュニティーの中で過ごしていた。2003年なんてついこの間のようだが、iPhoneTwitterGoogle Mapもなかったので、今とは全然違う移動の仕方をしていたように思う。 目当ての駅についたら、地図帳の該当のページを広げて、目的地を目指す。ページの端にたどりついたら、番号をたよりに「次のページ」へ。東京はそんなふうに、B5サイズの四角い見開きの一つひとつとして分断されていた。 就職を機に、それまで住んでいた学生会館を出ることになった私が選んだのは、中央区の新富というエリアである。大学生協ご用達の不動産会社から送られてきた物件情報の中で会社に最も近いのがそこだったからで、ほぼ、間取図だけ見て決めた。 世界が、分断さ

    銀座の隣の「新富」で、東京のよそ者として生きる(著:田村美葉) - SUUMOタウン
  • 悲しいだけ - やしお

    2ヶ月半前に母が亡くなった。自殺だった。 4年前に亡くなった父と同じ64歳で、4年前と同じように仕事中に「亡くなっていたよ」とふいに知らされた。違うのは、病死ではなく自裁だったことと、4年前に携帯電話越しに父の死を伝えたのは母だったのが、今度はその母が死んで姉が伝えてきたことだ。母の「ゆう君、お父さん、亡くなってたよ」といつもと違う妙に間延びした4年前の声も忘れられないし、姉の「ゆう君、お母さん亡くなってたって」と涙ぐんだ声も忘れがたい。 火曜日に外注先で仕事をしていて、正午になったから休憩に入ろうかと思ったときに姉から電話が入った。地元に住む姉の名前が表示された画面を見た瞬間に、母親のことだな、亡くなったという話かもしれないと思った。平日の朝は母親とメールを交わす習慣になっていて前日月曜と当日は返事がなかったから変だなと思っていたからだった。いつも朝7時頃にこちらからメールを出すと、30

    悲しいだけ - やしお
  • ただただゆったりと時間が過ぎていく街「逗子」で穏やかに暮らす - SUUMOタウン

    著: Taki 中学生になる前に横浜市から引越し、大学を卒業して働き始めるまでずっと住んでいた街「逗子」。 逗子ってどこ?と聞かれることも時々あるけれど、「鎌倉の隣」と言えば大体伝わる。その隣の鎌倉に比べると海が近いという共通点はあるものの、有名な神社仏閣も無く、特別有名な観光スポットも無く、お洒落というよりは、懐かしさや素朴、のどか、レトロというのがなんとなく似合う街。 逗子駅を降りてすぐにある「逗子銀座商店街」を見ていただければ、そんな逗子という街の雰囲気を分かってもらえるかもしれない。 位置的には三浦半島の付け根にあり、東京駅からは電車で約1時間でJR逗子駅に到着する。横浜駅からは約30分。JRの駅から歩いて5分ほどの場所には京浜急行の「新逗子駅」もある。 長く住んでいたけれど「逗子という街の魅力」についてしっかりと考えたことは無かった。なんだろう。 駅近くにデパートや大きな商業施設

    ただただゆったりと時間が過ぎていく街「逗子」で穏やかに暮らす - SUUMOタウン
  • 【楽天市場】全てのアイテム >ブランドから探す >MISFIT:WATCH STATION INTERNATIONAL 公式

    HAVE QUESTIONS? お気軽にお問い合わせください フォッシルジャパンとは フォッシル 楽天公式ストアはフォッシルジャパンで運営しております。 フォッシルジャパンについてはこちらから。 配送について 通常、4-5 以内に 発送させて頂きます。 詳しくはこちらからご確認ください。 返品/交換について 31日以内なら返品・交換可能! 条件についてはこちらからご確認ください。 ご利用可能な支払方法 クレジットカード、銀行振込、後払い決済、代金引換、Apple Pay、コンビニ前払い決済 ご注文の前に ご注文前に必ずこちらの 注意事項をご確認ください。 プライバシーポリシー お客様からお預かりした個人情報の 取り扱いについてはこちらからご 確認ください。 株式会社フォッシルジャパン 〒170-6015 東京都豊島区東池袋3-1-1 15階 TEL : 03-4520-2366 FAX :

  • 犬の餓死

    ある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術を発表した。しかもこれはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。「犬の餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。ネットでは芸術家のブログは炎上し、自宅には反対するグループが押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。 それを受けて芸術家は新たなコメントをした。次の展示に使う犬は保健所で処分される予定の犬を使用することにします。助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。次の展示が行われる日、展示される美術館では初めて開館前に行列ができていた。鉢巻をして襷をかけたいかにも抗議団体ですという集団や、興味位で初めて美術館に訪れましたというような一般人、そしてそれらを面白可笑しく撮ろうする撮影人。100人以上の人が集

    犬の餓死
  • 都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン

    著: 雨宮まみ 青春、という言葉は大嫌いだけど、自分のこれまでを振り返ってみて、いちばん青春っぽかったのは、西新宿で暮らした25歳~35歳の10年間だったのではないか、と思う。 西新宿に引越したのは、会社を辞めてフリーライターになるタイミングだった。とにかく貧乏になることは分かりきっていたし、出版関係は新宿での飲み会が多かったので、付き合いで行かなきゃいけないことを考えて「新宿からタクシーで千円ぐらいで帰れる距離で、家賃がなるべく安いところはありますか?」という、かなりアバウトな条件で物件を探した。「会社員」という肩書きがないと、家を借りるのは難しいと思っていたので、とにかく慌てて探していた。そして、「ここならなんとか住めるな」と思った西新宿の古いアパートの1階に引越した。 実際にタクシーを利用することはほとんどなかった。歩いて帰れたからだ。お金がなくて仕事がなくて時間だけがあり余っている

    都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン
    ekshinyah
    ekshinyah 2016/08/04
    “あの街には、私のような、まだ何者でもない人間がたくさん、安い家賃で暮らしていた。あの街で暮らした10年間が、たぶん、私の青春だったのだと思う。”
  • 京都には世界の全てがあった(寄稿:pha) - SUUMOタウン

    著: pha 京都に住んでいたときは終電なんて気にしたことがなかった。 自転車や徒歩でほとんどの場所を移動できたからだ。 今は東京に住んでいるのだけど、都市の規模や構造としては京都くらいがちょうど良かったな、ということをよく思う。 京都はそれなりに人口の多い都会なので、必要な店などは大体なんでもそろっていて不便はない。そのわりには規模が大きすぎず、土地が平坦で道路が碁盤の目状に交差していて分かりやすくて、自転車で移動するのがとても便利だった。 東京は何でもあって面白いのだけど、ちょっと大きすぎるし人が多すぎる。 首都圏の交通網は発達していて電車でどこにでも行けて便利だ。でも、結局どこに行くにも電車を乗り継いで30分から1時間くらいかかってしまって、移動が結構面倒臭い。 人が多いので電車も混んでいてあまり乗りたくないし、そうすると結局自分の家の近く以外にあまり行かなくなってしまう。同じ東京に

    京都には世界の全てがあった(寄稿:pha) - SUUMOタウン
  • qlog » デジタル・クラフト部門を審査した

    「責難は成事に非ず」という言葉がある。これは、読んで字のごとく、「他人の誤ちを責めても物事は成し遂げられない」ということだ。 見た感じ、中国古来の格言とかのように見えるが、小野不由美のライトノベル「十二国記」シリーズの短編集「華胥の幽夢」の中の一遍に出てくる登場人物・砥尚の言葉だ。2001年くらいのなので、故事でもことわざでも何でもないのだが、十二国記シリーズには、ラノベのくせしてこういう大事な言葉がちょこちょこ出てくる。アニメ版を嫌がる息子に無理矢理見せる程度にはバイブルだ。 もっとライトな言い方をすると、否定だけしても何も生まれない、みたいなことになる。よく会議なんかで言われる「否定するなら対案出せ!」とかにもまあ通じる。この砥尚という人物は、前の王の政治を否定して革命を起こし、自分が王になるのだがその後のビジョンを示すことができず行き詰まった結果、この「責難は成事に非ず」という言葉

    ekshinyah
    ekshinyah 2016/06/28
    “最近の私は、否定ばっかりしている責難野郎になってしまっている。「怒る」ことは大きな声で状況を伝えるには良い手段だが、同時にとてもお手軽な手段で、根本的な解決にはならない”
  • 深夜に江ノ島から藤沢まで歩いた話 - しっきーのブログ

    先週の金曜日、電車を間違えて家まで帰れなかった。 2年ぶりくらいの友達と数人で飲みに行って、楽しかった。丸の内OLだけどキモヲタの僕と普通にしゃべってくれたり、社会人だからとお金を多めに出してくれたり、ぐう聖としか言いようがなかった。 そして、帰りの電車を乗り間違えた。 東京駅近くで会ったのだけど、僕の最寄り駅はそこから東海道線で下って藤沢で乗換え、小田急線の上りの電車に乗れば着く。で、間違えて反対側の「片瀬江ノ島」方面の線に乗ってしまったのだ。 車内ではを読んでいて、気づいたら「鵠沼海岸駅」に止まっていた。すぐ降りて電光掲示板を見たが、上りの電車はもうなかった。 普段から帰るときに乗る電車が江ノ島方面なので、それで間違えてしまったのかもしれない。ぼうっとしていたというのもある。ちょっとお酒を飲んだので、自覚はなかったけど酔っていたのかもしれない。 さらに不幸なことに携帯の電池がなく、電

    深夜に江ノ島から藤沢まで歩いた話 - しっきーのブログ
  • 昔のネット友達にまた会いたい

    ※女性向け同人の話 昔々、サイトでの同人活動の時代。5年くらい前。 とあるマイナーカプで活動していたとき、エチャを開いたら入ってきてくれたA(もちろん仮名) マイナーということもありすぐに意気投合して仲良くなった。 スカイプしたり、家もわりと近かったので家(実家w)に招いたり、いっしょに遊びに行ったり、と楽しい日々を過ごしていた。 ほんとうに、すごく楽しかったよ。これまでオタクしてた時間の中で、人間関係は一番楽しかった。 オタク活動自体はいつも楽しいんだけど、オタクの人間関係は年々楽しくなくなる一方だなぁ。 Aは当時おそらく美大に通っていて、時折忙しくなる時期があるのは知っていた。 そのときも最初はそういう時期なんだろうなと思った。 1ヶ月浮上しなくて、その後も。いつのまにかtwitterのアカウントは消えていた。 当時は携帯のEメールからツイッターに変遷していった時期でもあった。 メール

    昔のネット友達にまた会いたい
  • 福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに

    福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • 冬とカモメとフィッシュマンズ - phaの日記

    ユリカモメは冬の渡り鳥だ。毎年冬になるとシベリアあたりの厳冬を避けて南へと飛んできて日の川辺や海沿いで越冬し、暖かくなるとまた北へと帰っていく。 大学時代に京都にいた頃は、当時住んでいた寮の近くを流れている鴨川の河原に行ってはよくユリカモメに餌をあげていた。 二十歳前後の僕は今よりも暗く内向的で友達も少なく、今よりもさらに将来の見通しがなく、社会に適応できないという思いを持ちつつも社会から外れる勇気も持てず、この先どうやって生きていったらいいのかいつも途方に暮れつつ、過剰な自意識や承認欲求や性的衝動をこじらせて周りに迷惑をかけたりしていた。要はよくいる暗くて面倒臭い大学生だった。 「もうだめだ、つらい」 気が滅入ってそんなことを呟きながら汚い寮の玄関をくぐり抜けふらふらと鴨川まで歩いていって川のそばの100円ショップでかっぱえびせんやベビースターラーメンなどのスナック菓子を買って橋の上で

    冬とカモメとフィッシュマンズ - phaの日記
  • 近所の床屋 - Robot Checkerboard

    坊主頭ということもあり、バリカンを使って自分でやるか近所の床屋に向かう。 そこは家族で経営する床屋で、80そこそこの親父さんと女将さんに、40半ばほどの息子さんの3人でやっている。バーバーチェアは3席で、奥から親父さん、女将さん、息子さんが使うことになっている。 殆どは息子さんに刈ってもらうのだが、これが大変に良い。バリカンで入念に刈り、ハサミの仕上げもキッチリしている、とても丁寧な仕事なのだ。中でも洗髪後に大きな手で施される絶妙な力加減のヘッドマッサージがとても気持ち良く、初めて行った時には良い店を見つけたと興奮気味に家内に報告してしまった。 ある日曜日の、昼をちょっと過ぎた頃、時間が空いた事もあって床屋に行こうと思いたった。店に行くと先客が1人、女将さんが接客している。息子さんの姿はなく、親父さんに案内された。何度か来ているが親父さんに刈ってもらうのは初めてのことだ。 6ミリで、と親父

    近所の床屋 - Robot Checkerboard
  • YOOT.COM: 岩田さん、ありがとうございました。そして、さようなら。

    斉藤由多加 (Yoot Saito) さいとうゆたか   東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定   使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など 株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。 今日、訃報が発表になった任天堂の岩田社長さん・・亡くなられてしまったんですね・・・。 僕が知りあった頃の岩田さんは、1997年のことですから、スーツを着ていない岩田さんでした。甲府のHAL研にてお会いしました。岩田さんは、ゲーム

    ekshinyah
    ekshinyah 2015/07/13
    “ 「斎藤さん、あの時のすれ違い通信(この命名はありませんでしたが)、このDSで実装しましたよ」 と嬉しそうにデモしてくださった。”
  • 追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健 - 週刊アスキー

    任天堂の代表取締役、岩田聡さんが亡くなられたというニュースを見て、非常にショックを受けています。あまりにも偉い方になられていたので、もう長年お会いしたことはありませんでしたが、引退されたら久しぶりに昔話でもしに遊びに行こうと思っていたからです。 岩田さんに初めてお会いしたのは、1982年の8月だから33年も前のこと。岩田さんが23歳の新入社員だった時代です。 高校2年生とプログラムを共同開発 高校2年生だった私は、夏休みを使って当時のパソコン、NECPC-8001用にサウンドボードを開発し、それを駆動するためのプログラムを作ったのです。自画自賛ですが、とてもよくできたので、雑誌で見かけた会社に連絡をし、買い取ってもらえないか交渉をしていました。 5社ほど面談に行った会社の中で、第一希望だった会社がHAL研究所。5~6人の小さな会社で、そこで対応してくれたのが岩田さんでした。 結果的に、H

    追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健 - 週刊アスキー
  • スマート家電が実現する素敵なディス☆トピア | fladdict

    スマート家電とIoT(インターネット・オブ・シングス)について、仕事相談がくるようになり色々と基礎リサーチをした。しかしながら家電メーカーが好き勝手にやるとディストピアが到来する・・・という脳内シミュレーション結果が出た。以下はストーリー仕立てでまとめたプレゼン資料。 こんな未来は嫌なので、是非ともこの危機を回避していただきたく。解決編はまた別の機会に書く(あるいはクライアントにだけ提案する)。 fladdictさんの新居事情 fladdictさん(仮)は、UIUX系の会社に勤務するギリギリ富裕層のデザイナー。念願のマンション購入にあたり、�家をまとめてスマート家電�化することにした。 意識高い系であるfladdictさんは、未来の生活を調査すべく自ら人柱となったのである! 新居は、大手建設会社と大手家電メーカーが共同開発したスマートマンション「スマートピア南平台」。具体的に何がスマート

    スマート家電が実現する素敵なディス☆トピア | fladdict
  • 人生の賞味期限について - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    以下のブログで書かれていたことについて思ったことを書いてみる。 現実を直視しながら理想を持ち続けることの難しさ、人生の「賞味期限」 筆者の佐藤航陽氏が書くところによると、人生には「賞味期限」があるという。人間が一生の間に持っているエネルギーには限度があり、そのエネルギーは人生の中で減っていく、 なにかに挑戦するにはエネルギーが必要で、エネルギーが枯渇してしまうと、いくら挑戦できる十分な知識と経験があっても、もはや挑戦は できなくなる。このエネルギーが残っている期間を「人生の賞味期限」と呼んでいるということらしい。 ぼくのあまり長くはない人生経験からしても、こういう人生の賞味期限といったものは 当に存在すると思う。 人生の賞味期限がなぜあるのかは単純で、佐藤氏が書いているように現実を直視しながら 理想を持ち続けることが難しいからだ。 簡単にいうと、世の中を変えようと、ある理想を実現しようと

    人生の賞味期限について - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 熊野寮の思い出 - phaの日記

    ※この文章は2014年11月に発行された「京都大学熊野寮五十周年記念誌」に寄稿したものです。 - pha 一九九八年入寮 熊野寮に入るまで、僕は友達があまりいなかった。人と話すのがそんなに得意ではなくて、人を誘って遊んだりするのもすごく苦手だったし、人に誘われてもなんかしんどくて断ってばかりいた。だから大体いつも一人で行動していた。そのときはそれで平気な振りをしていたけど、当は寂しかったのだと思う。 そんな僕が寮に入って思ったのは「ここは誘ったり出かけたりしなくても自然に家の中に遊び相手がいる」ということだ。それは僕にとってすごく革命的なことだった。相変わらず人に話しかけたりするのは苦手だったけど、なんとなく談話室に行って漫画でも読んでいれば、ゲームをしないかとか麻雀しないかとかみんなが親切に声をかけてくれた。それはとても嬉しいことだった。楽しくて、授業に行かずに一日中ずっと麻雀を打ち続

    熊野寮の思い出 - phaの日記