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ブックマーク / inri.client.jp (3)

  • ドイツの少年・少女たちと「ヒトラー・ユーゲント」

    ■■第1章:「ヒトラー・ユーゲント」の誕生 ●第一次世界大戦後、ドイツ国内では敗戦を潔しとしない右翼勢力と、更なる革命的政府の樹立を叫ぶ左翼勢力が対立していた。これらの勢力は将来のための若年層獲得にも余念がなく、その影響下に多くの「青少年組織」が乱立していた。 1920年に創設された「ナチ党」も、「青少年を掌握するものが未来を掌握する」ということを熟知していた。それゆえ、当初より党の宣伝は、青少年の獲得を目指して行われた。 1922年3月に「ナチ党青年部」が設立され、19歳のアドルフ・レンクが指導した。まさに「青年を指導するのは青年自身」であった。 「青少年を掌握するものが未来を掌握する」 ということを「ナチ党」は熟知していた ●しかし翌年、「ミュンヘン一揆」の失敗により党活動が禁止され、青年部の活動は中断する。その後、ヒトラーが恩赦で釈放され、1925年に「ナチ党」が再結成されると、同年

  • ナチスの突撃隊(SA)と親衛隊(SS)

    ■■第1章:突撃隊(SA)とレーム司令官 ●ナチスの「突撃隊」(SA=Sturmabteilung)は、1921年、勢力拡大のため活発に街頭活動をしていたナチ党と党員を防衛する目的で結成された組織で、隊員には退役軍人や兵士などがなっていたが、後に一般の若者や失業者も参加した。 ヒトラーの政権獲得のために、突撃隊は街頭での共産主義者との闘いや示威行進などを通じて大いに貢献し、制服である褐色のシャツ姿は市民に恐怖感を与える存在だった。 (左)ナチス突撃隊 (右)突撃隊のシンボルマーク 突撃隊はイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニ率いる ファシスト党の武装行動隊(黒シャツ隊)を模して結成された ●SA(突撃隊)は初めヘルマン・ゲーリングが指揮していたが、彼が政権中枢に移ったあとは元陸軍大尉のエルンスト・レームが司令官になった。 SAは無制限に隊員の受け入れを行ったため、最盛期には300万人前後

  • ヒトラーの「究極兵器」と「マインド・コントロール計画」~「ナチス」と「オウム」を結ぶ黒い影~

    ■■第1章:「AHS」と「超人」開発の謎 ■ヒトラーが語った魔の「究極兵器」 ●第二次世界大戦末期にヒトラーはインナー・サークルの中で、自分が予見した魔の「究極兵器」について次のように語ったという。 「諸君、近い将来、我々は『究極兵器』を持つようになる。かつて私は、それを細菌かウイルスだと考えて諸君に話したことがあったが、今では、もっと強力なものが見えている。『心理兵器』や『意志兵器』がそれだ。『特殊な電磁波』を媒体として、我々自身の意志をそのまま兵器にする。それは敵に命令し、少なくとも敵を無力化させ、我々の望む通りに動かす。軍隊に限らず、人類全体をそのようにできる。 今、『アーネンエルベ』と『AHS』でその研究をさせており、目鼻はすでについている。それさえ完成すれば、べつに毒ガスや核兵器など使わなくても、戦わずして我々はあらゆる敵を、人類全体を支配できるようになるだろう」 アドルフ・ヒト

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