外貨保有高、国連負担金、GDPなどの指標で世界第2位の地位を占める日本は、経済的には世界にそれなりの貢献を果たして来ました。にもかかわらず、世界の指導国の指定席である常任理事国へ加盟の道は極めて厳しいのも現実です。 日本には「何が物事の本質かを議論し、突き詰めた上で」物事を判断する風土がなく「本質とは関係の無い人間関係や過去の経緯などを拠所として」重大な判断をする悪習があります。(注:斉藤健著「転落の歴史に何を見るか」より) この風土が、世界に通じない日本を生み、常任理事国入りにも苦戦する一因でしょう。 経済大国の地位など夢の夢であった1950年。南原繁東大総長はその年の卒業式で、「平和と全面講和」を熱っぽく説きました。この発言に腹を据えかねた単独講和推進派の吉田首相は「永世中立とか全面講和などという事は、言うべくして到底行われない事」であり、「それを南原総長などが、政治家の領域に立ち入っ
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