藤原紀香さんはもう登場しませんが、いろいろ発見があります。 およそ15年前に存在し、現在のソフトバンクへと移り変わっていった通信キャリア・J-PHONE。そのJ-PHONEについて当時配布されていたカタログから振り返っていく不定期コラムです。5回目となる今回は、J-PHONEが「ボーダフォン」へと変わりゆく2002年のカタログにたどり着きました。 2001年10月、当時隆盛をきわめていたJ-PHONEは英国Vodafoneグループの傘下に入ることに。ブランド名や端末はしばらく「J-PHONE」のままでしたが、カタログは2002年から一気に「ボーダフォン」色を強めていきます。 サッカーW杯まっただ中の2002年6月。「ムービー写メール」始まる 【2002年6月】のJ-PHONE総合カタログ(関東・甲信版)、表紙には中田英寿さんが登場。サッカーW杯が日韓共同開催されていた時期なので、まさに時の
![J-PHONEからボーダフォンへ。思い返すとせつない、あの過渡期【発掘!15年前のJ-PHONEカタログ】 | d.365(ディードットサンロクゴ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/0866d9fff2e89178915275a406a4066f0c95b8d1/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmedia.digimonostation.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2016%2F11%2F161106_J-PHONE_01.jpg)