ブックマーク / novtan.hatenablog.com (3)

  • 過酷すぎる自由な社会において - novtanの日常

    ※ほぼポエムです 子供が学校に行きたくなくなるのはまあまあよくある話だし、GW明けたら会社に行きたくなるのもまあまあよくある話ではあるよね。 よく「自由」の対極に位置するのは「抑圧」であるという前提で話をされることがある。自由という言葉が広くて曖昧だからということもあるんだけど、僕はちょっと違うと思っている。「抑圧」というものがそもそも人間に対してマイナスの要素か、というと実は全然そんなことはない。 そもそもディストピアSFにおいて、「俺は自由だ!」は死亡フラグである(と意味のわからない供述を繰り返しており… いやまあ、結局の所何でも良いんだけど、とにかく制約も抑圧もない「自由」というのは自分を強く律することができない人にとっては単なる堕落の入り口に過ぎないことのほうが多いわけですよ。当然だけど、子供が自分を強く律することはできない。義務教育やらなんやらには現代的ないくつもの問題があるとは

    過酷すぎる自由な社会において - novtanの日常
    enderuku
    enderuku 2019/05/20
    不自由といえば聞こえは悪いが誰かが舗装してくれた道を歩けるって意味でもあるからなあ。短所と長所は表裏一体という言葉がいつも思い浮かぶ
  • われわれは反省すべきか、萎縮すべきか、Hagexの遺志を継ぐべきか - novtanの日常

    これは実質的にHagex氏の追悼エントリです。 - 「われわれ」とは主語の大きい話であるが、僕が件に対して最終的に言いたいことは、「信念に従って生きよ」ということである。信念に基づいた正義はしかし一つに決定することができるたぐいのものではない。だから何が正しいかを決定することにより、社会のあり方が規定され、規制されるような、あるべき姿とは正反対のものになってしまうことを恐れる。正しさとは常に変容するものであり、痛みなしの変容はありえない。痛みを恐れるばかりに無難であり続けることを全員が選ぶことが最も恐ろしい。 正義とは、必ずしも紳士的なものではない。むしろ、暴力的なものだ、と捉える人のほうが多いかもしれない。自分の信念に基づき正しさを提示することは他人の信念と当然ながら対立する。正義とは立場や情勢によって変わる、実に脆弱な概念でしかなくて、正しさはロジカルに担保されない。不正を憎む人と、

    われわれは反省すべきか、萎縮すべきか、Hagexの遺志を継ぐべきか - novtanの日常
    enderuku
    enderuku 2018/07/01
    (´・ω・`)PUBGみたいに常に誰かに追われてる感覚を忘れなければ負けないと思う。建物に入ったら背中を預ける場所を探す事、出入り口には銃を向ける事
  • チキンカツ定食を頼んだらロースカツ定食が出てきた時、どんな顔をすれば良いんだろう - novtanの日常

    ほら、チキンカツととんかつだとどっちが美味いとかじゃなくて、味わいの違いがあるわけじゃないですか。チキンカツのさっぱりとした感じが良かったり、ロースカツのジューシーな感じが良かったり、ヒレカツの肉を味わう感が良かったりとか。 「お待たせしました。ロxxカツ定です。」 ん?ロースって言った?言ったよね?形的にもこれチキンカツじゃないよね。でもレシートにチキンって書いてある…チキンカツの形って意外と不定形だからな…でも切り口見るとどうもロースっぽい。どうする?べてみるか? 困りますよね。 べて「店員よ、これをってみろ!これがチキンと言うのかっ!こんな店で事なぞできるかー!!!(ガシャーン」ってやるのも良し(良くない)、「しょうがないわね。私は脂っぽいロースカツなんてかけらもべる気なんか起きないんだけど、豚さんに申し訳ないからべてあげるわ。べ、別にあんたがオーダーミスすると困るから

    チキンカツ定食を頼んだらロースカツ定食が出てきた時、どんな顔をすれば良いんだろう - novtanの日常
    enderuku
    enderuku 2013/09/23
    たとえ話かと思ったらリアルかよw
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