タグ

ブックマーク / birdsing.exblog.jp (2)

  • きっこのモンタージュ リターンズ プロレタリア文学としての「きっこの日記」 | Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

    ■『きっこの日記』が出版される意味は? Q:松永氏が復帰しました、『きっこの日記』もになりますね。 M:松永氏は復帰したようだけど、ちょっと方向性が見えにくい展開だね。『きっこの日記』がになるということだけど、どういう意味があるのか分からない。 Q:を出版することで「一気にメジャーにブレイク」というのもある訳ですが。 M:それもそうだけど、きっこ氏のような中途半端な有名人はとか出版すると、「一丁あがり」になるパターンも多いと思うけどね。神秘性が消えて、一気に飽きられるリスクのほうが高いと思うけど。 Q:何をどこまで書くか、にもよりますね。 M:つまりさ、ネットで読めるものをで出す意味があるか、という問題もあるし・・・ Q:電車男はどうですか? M:あれは一貫したストーリーがあるから、小説として出版する意味はあると思う。でも、「きっこの日記」はネタの鮮度が勝負でしょう?過去のスクー

    きっこのモンタージュ リターンズ プロレタリア文学としての「きっこの日記」 | Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない
  • 日本最強のポピュリスト田中康夫氏の落選。 | Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

    ■改革幻想の行き詰まりを打開できず 改革が長野に何をもたらしたのか、そしてそれは継続されるべき価値のあるものであるのか、田中県政6年間を問う選挙は8万票あまりの差をつけられての田中氏の落選に終わりました。脱ダム宣言や、財政健全化などの達成が、県民のマインドに届かなかったと言うことは、ニュースの見出しに表示されるだけの「言葉の上だけでの達成」にすぎなかったことを意味していると言うことでしょうか。 誰もが実感ですることのない、帳尻あわせの「達成」は「改革幻想」の「レトリック」、つまり「パフォーマンス」の一種に過ぎなかったと県民に判断されてしまったのかもしれません。しかしそれ以上に県民の反感を買ったのは、国政と県政に二股をかける彼の政治姿勢対する「不信感」でしょう。「達成」に「実感」が伴わず、「政治姿勢」に対して「不信感」をもたれれば、「パフォーマンス」は上滑りするだけで、発せられるメッセージは

    日本最強のポピュリスト田中康夫氏の落選。 | Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2006/08/08
    「新党日本ごと民主党に吸収させて、民主党の党幹部へと横滑りすることを狙っているのかもしれませんね」 昔新聞の対談で自民を策略で割って野党連立政権誕生と語ってたので新党日本も意外性はなかった
  • 1