下の画像は、『ComicBox』Vol.11、「ナウシカ回想録」で披露された『風の谷のナウシカ』制作エピソードの一部。 回想しているのは、巨神兵の作画を担当した庵野秀明氏。「時々、机の上に宮崎(駿)さんの伝言がいろいろと置いてあり、たのしかったです。」と、冗談交じりに思い出が語られている。 その再現イラストの中に、興味深い絵が一枚。スケジュールが破綻し、線撮の映像がスクリーンに投影された劇場。呆然と立ち尽くす庵野氏の脇で、観客に土下座する宮崎駿監督の図。 実際には、『風の谷のナウシカ』は無事完成した訳ですが…、この既視感は一体何なんだろう(笑)? トラックバックURI:http://xn--owt429bnip.net/2007/06/dogeza.php/trackback コメント (このコメント欄の RSS フィード) そういや、高畑さんの「火垂るの墓」の公開時に色塗りが間に合
談話室オヤカタ:#153 廣田恵介さんがライターという仕事について語る(→音源はこちらのバックナンバー参照) アニメ評からグラビアポエムまで、仕事の幅が広い廣田恵介氏をゲストに迎え、「ライター」について語る回 後編。その中で、レギュラーの池田憲章氏が、金田伊功特集担当時のエピソードに触れていた。 TVアニメ初期のスター・アニメーター金田伊功。『アニメージュ』1980年11月号において、メディアは初めて彼の特集を組んだ。ページ構成を担当したのは、池田憲章氏。カラー8ページにわたる特集で、マニアックかつ高密度だ。 『アニメージュ』初代編集長の自伝『あの旗を撃て!』の寄稿にも、詳しい話が載っていますが、当時の池田氏は、アニメージュ編集部を横目で見ながら、特撮ムックの仕事をしていたそうです。それが、ある日、偶然、金田特集のうわさを耳にしたところから時代の転機が訪れる。 大塚康生、小松原一男、宮
桀紂屋(ketchu):BONES新作『亡念のザムド』は宮崎アニメになるか? 面白い角度から切り込んだ『亡念のザムド』の紹介。推測部分に関しては、当時の雑誌記事が参考になる。 鈴木敏夫「それで近藤(喜文)さんに続く新人演出家を育てようと、ジブリは1995年春、アニメーション演出塾「東小金井村塾」を開講したんです。ジブリの中で毎週土曜日の午後4時から10時までぶっ続けで講義です。(略)。320名ぐらいの応募があって、16人選抜しました。」 森卓也「まったくの外部ですか。」 鈴木「そうです。内部からも応募があるかと思ったんですけど、誰もなかったですね。ま、やりにくいという面もありますよね(笑)。」 (キネマ旬報臨時増刊『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』より) (略)「アニメーション映画の21世紀を目指して、若き演出志望者よ来たれ!!」との呼びかけに320人が応募、(略
俺の嫁とは - はてなダイアリー 俺の嫁(おれのよめ) 架空のキャラクターに対する愛情表現のインターネットスラング。 未婚者がネット上で用いる場合、(お嫁さんにしたいほど)『可愛い!』『萌える!』『大ファンです!』『好き!』などといった意味で使われる。 例 * 「長門は俺の嫁」 * 「3翠嫁」(3分以内にレスが無ければ翠星石は俺の嫁) 昨今、ニコニコ動画に乱舞する「俺の嫁!」発言に眉をひそめ、「ゆとり世代が」「動物化が」「オタクのライト化が」と、オタクの行く末を憂う方も多いかと思う。 しかし、悲嘆に暮れる識者の皆さんは、落ち着いて、下図を見て頂きたい。雑誌『comic BOX JR』創刊2号(1983年発行)の読者投稿コーナーの一部である。(クリックで拡大) 見よ!おのおのが、当時のアニメ&漫画の人気キャラクターを挙げ、力いっぱい「俺のものだ!」と主張しているではないか!つまり、
ネットの一部で、『機動戦士ガンダム』界隈における過剰な「後付設定」の是非が話題になる中、良いタイミングで基礎知識の学べる記事が掲載された。『MG』のMSV特集です。 特集は、『機動戦士ガンダム』の本格的な科学解釈の嚆矢ともいえる『ガンダム・センチュリー』の誕生秘話から始まる。『月刊アウト』元編集長・大徳哲雄氏のインタビューを掲載。伝説的ムック本の成立過程と、二次創作色の強い同書が、予想外の影響を及ぼしてしまったことを、当時どのように考えていたのか等が語られる。(この辺は、アニメ書籍ファンにもオススメです。) 同書の啓蒙した裏設定的味付けを、当時最先端の造形センスでもって立体に昇華したプロモデラー達。そして、彼らの鮮やかなる立体解釈を貪欲に取り入れた、バンダイの回答。最先端モデルとしての「MSV(モビルスーツ・ヴァリエーション)」! 当時の資料をふんだんに盛り込み(左図は一例)、歴史を追う
古書店にて購入。 表紙に「アニメのスタッフが作った業界誌」とある通り、発行元はアニメの制作会社。(株)スタジオワールド(※)の一角で編集作業が行われていたようです。(参考:当時、編集手伝いをされていた方の回想) この頃、アニメスタジオ各社が発行していたファンクラブ会報・ニュースペーパーの類とは趣きが異なり、印刷の質、ページ数、一流玩具メーカー&レコード会社の広告掲載など、まさに雑誌!ただ、どういったルートで販売されていたのかは不明。 【ここが凄い①】プレゼント当選者の氏名=社員 桜井弘明監督(当時・演出助手)の名前も。(参考:私達の未来は何処に?:ブレークタイム) 【ここが凄い②】主な取材先がタツノコ界隈 タツノコプロ出身の社長の人脈なのか、取材先に偏りが。押井守監督(元・タツノコプロ)のインタビュー、『超時空要塞マクロス』(タツノコプロ制作)のメイキング、創刊号では天野義孝氏(タツ
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