竹宮惠子は少年愛を純然とした少女漫画として描いて、萩尾望都は子どもの成長の苦悩の物語として描いていて、全然違う物語。萩尾望都の物語の運びの巧みさは、そばに居ればそれは恐ろしかったろうなと思う。

do-dodo-do のブックマーク 2021/05/09 19:45

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