このころの日本と大陸の交流の多くは帯方郡・半島経由・対馬海峡ルート。東シナ海横断が中世まで危険だったのに対して、対馬海峡ルートは古代でも比較的安全だった。卑弥呼よりも倭王讃・武の南朝遣使のほうが至難。

nagaichinagaichi のブックマーク 2022/06/17 23:25

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