2017年12月22日のブックマーク (3件)

  • はあちゅうはこれからセクハラ肯定キャラとして生きていくべきだと思う - 今日も得る物なしZ

    はあちゅう 公式ブログ - 下ネタとセクハラ、表現の自由とハラスメントの境界線について - Powered by LINE 読んだ感じ「私のいじりはいいいじり、でも他人のセクハラはセクハラ、反省とか一切してないし正しいのは私で間違ってるのはお前ら、アイアムクイーンオブインターネット」という感じなので俺が今まで思っていたことのツイートなどをご覧ください。 はあちゅうの謝罪文は一切評価してなくて形だけでも謝罪という形を取ったところだけ評価している、絶対反省してないしまた同じことやるだろうというのは確信してる— きょうもえ (@jizou) 2017年12月20日 はあちゅうの謝罪文、謝罪という単語以外すべての言葉が評価できないレベルでぼくはその2文字だけ評価しています— きょうもえ (@jizou) 2017年12月20日 もう「はあちゅうの宣材写真とテレビに出ているときの顔の違いが苦手なので

    はあちゅうはこれからセクハラ肯定キャラとして生きていくべきだと思う - 今日も得る物なしZ
  • 足の早いもやしはレンチンして保存! | NHKテキストビュー

    変わりつづける。学びつづける。新しい自分に出会うための1ページ。

    足の早いもやしはレンチンして保存! | NHKテキストビュー
    envygreedlust
    envygreedlust 2017/12/22
    19世紀後半の社会・人文学者は「進化」に囚われ、ダーウィンに熱狂した 言語学もソシュールの前は進化論、マルクスは社会の進化は必然と言った 今なら植民地・帝国主義コンプレックスだったのかなぁと理解できるけど
  • はあちゅうと会話が成り立たない理由を解説する

    なぜはあちゅうが今さら創作の話を持ち出すのか、普通に生活していると理解できない。しかし、はあちゅうの立場に立ってみれば簡単にわかる。 端的にいうと、はあちゅうは『コンテンツ』でもあり『人格』でもあるという微妙な立場にある。そしてこの立場では絶妙な立ち回りが必要なことに気づいていない。 『コンテンツ』のコードはゆるい。セクハラするキャラであればセクハラ描写が許されるのがコンテンツの世界だ。セクハラキャラの芸能人がツイッターでセクハラツイートしてもよほどのことがなければ炎上することはない。 『人格』のコードは複雑な上に厳格だ。人格のコードに正解はほとんどないので「嫌われる」「好かれる」のラインを暫定的に採用するしかない。ポリコレは現代社会ではそれなりに無難な指針になる。 一般人の生活はコンテンツではないので人格のコードだけで生きていけるし、コンテンツとしてエッジを立たせる必要がない以上コードギ

    はあちゅうと会話が成り立たない理由を解説する
    envygreedlust
    envygreedlust 2017/12/22
    人を傷つける下品なセックスジョーク芸で売り出し中の女芸人が、楽屋裏のセクハラ公開して悲劇のヒロインにもなったけど、引き続きセックスジョークは続けるのでヨロシク、皆笑えよ!、という話 笑えるかなぁ?