ブックマーク / www.wasteofpops.com (5)

  • 「ガールズバンド」のこと - WASTE OF POPS 80s-90s

    昨日の「マツコの知らない世界」で、SHOW-YAの寺田恵子さんと、Mary's Blood/NEMOPHILAのSAKIさんを迎えて「ガールズバンド」を特集していたのでぼんやりと眺めていたところ、いろいろ思いついたのでちょいちょいTwitterに流していたのですが、いったんまとめてみようと思いまして、書きます。 まず冒頭ですごく違和感を感じたのが、2人が口をそろえて「今のガールズバンドは売れない、不遇である」と言っていたこと。自分の感覚では、確かにプリプリやSHOW-YAレベルのビッグネームこそいないものの、日のバンドシーン史上で今が最も数多く様々なガールズバンドが存在して活躍していると思っていたので。 ただ、番組を観ていくうちに何となくその違和感の理由が何となく理解できまして。 番組でもざっくり日のガールズバンドの歴史を流していましたが、少なくともメジャーデビューした「全員が女性」の

    「ガールズバンド」のこと - WASTE OF POPS 80s-90s
    envygreedlust
    envygreedlust 2021/07/08
    今は女性ソロ(いわゆるシンガーソングライター)がその辛酸を舐めている印象 かわいい女の子が凄いギターで歌ってても「かわいい」に引っ張られてなかなか売れない、みたいな
  • AI美空ひばりのこと - WASTE OF POPS 80s-90s

    昨日のNHKスペシャルが大変にヤバかったわけですが。 AIでよみがえる美空ひばり やっていることがそもそもすごいのだけど、いろいろ困難にぶち当たると、和也所有のテープが出てくるとか、単なるひばりオタとしての天童よしみが登場するとか、森英恵も当時のヘアメイク担当も出てくるとか、必要なパーツが嵌っていく形で乗り越えていく、番組としてのストーリーもすごかった。 そしてそのストーリー展開の中で、具体的な説明はなくとも「件の実現にあたっては重要なところを全部きちんと巻き込んでますぜ、ものすごい公認ですぜ」というところが全部理解できるところも。 正味こういう企画は、見る人によっては倫理観的なところでどうしても引っかかる人もいるかもしれませんが、その「公認」と、番組内でのすごい勢いの「肯定」が、そういう人たちの気持ちへの抗弁として確実に機能する。 全くもって隙がありません。 秋元康氏を連れてきたところ

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  • 日本の大衆音楽の「はじまり」のこと - WASTE OF POPS 80s-90s

    これから書くことは、結論もなければ仮説もなく、今のところただなんとなく思っているだけのことと事実の羅列だけなのですが、徐々に深めていきたいと思っている事象なのでとりあえず書いておきます。 ジャズにしろ、ロックにしろ、ヒップホップにしろ、アメリカで生まれた音楽ジャンルの最初は総じて所謂ブルーカラー層的なところで誕生し、そのコミュニティの中で育まれ成長し、それがホワイトカラー層にまで到達しては更に多様化して、という歴史をたどっています。 が、こと日では「それを受信する」ところからがスタートであるため、まずホワイトカラー的な層、もしくはそれ以上の富裕層がその情報を受信・共有しやすい東京でその音楽を始め、ある程度発展したものがブルーカラー層にまで到達してさらに多様化するという、全く逆のコースになっている、というのが実際です。 ジャズを日に初めて紹介したのは、大正元年にアメリカに渡った現在の東京

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  • ■ - WASTE OF POPS 80s-90s

    BABYMETAL / METAL RESISTANCE(Album) 日:2位 アメリカ:39位 カナダ:N/A(50位まで) オーストラリア:7位 ニュージーランド:31位 イギリス:15位 アイルランド:N/A(100位まで) ドイツ:36位 フランス:145位 オランダ:71位 ベルギー:63位 スイス:55位 オーストリア:22位 イタリア:N/A(100位まで) スペイン:N/A(100位まで) ポルトガル:N/A(50位まで) フィンランド:45位 デンマーク:N/A(40位まで) スウェーデン:N/A(60位まで) ノルウェイ:N/A(40位まで) プロモーションかけたところには結果が出て、北欧とかラテン系とかまでは届かないという大変に解りやすい状況。グローバル社会と言えどもこんなもんです。オセアニアは意味わかりません。 1stはそれはそれで名盤だとは思うのですが、「重音

  • ■ - WASTE OF POPS 80s-90s

    世田谷文学館の岡崎京子展、終わる寸前で見てきたんですが。 正直、彼女の作品は、何かすげえとは思いつつもがっつりハマることはできなくて、それは彼女の表現が主に「女性」性をベースにして発信されているために、私のような鈍感で無粋な男には質が理解できないのだという認識でいたのですが、つらつらと展示を見ながら、もうひとつ決定的な点にようやく気が付きました。 彼女の表現は圧倒的に「東京で生まれて東京で育った」人の感覚なんだなあ、と。 何に価値をおいて何を選択して消費するかという点において、東京出身の人と話をすると結構な割合で「そんな違わないよ」と言うのですが、田舎出身の人間確信を持って言います。確実にあります。決定的に違います。端的に言えば「既にあって、そこにある中から選ぶ立場」と「あまりなくて、限られた選択肢から意でないもの含めて選ぶか、選べないものに焦がれる立場」。 自分は三重県四日市市で育ち

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