2015年8月28日のブックマーク (2件)

  • 中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。

    中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。 6年間通っていた地元の小学校から電車で1時間ほどの私立女子中学校は、公立中学校よりも設備が整っていて、清潔だった。お手洗いの掃除も生徒がやる必要はないし、体育館なんて3つも4つもあった。そこに、数百人の女の子たちがかわいいセーラー服に身を包み通っていた。私もその一人だった。 どうしてうまくいかなかったのかはわからない。もう10年も前の話だ。私が悪い、周囲が悪い、と簡単に言えることでもないと思う。そのときの私は、周囲と馴染んだり友人を作ることにみじめなほどに必死で、空回っていたのだと思う。私のことを分かってくれる友人が欲しいと思えば思うほど、周りから人は消えていった。 最後の思い出は、体育祭だ。あまり練習に参加していなかった私は、リレーのアンカーだったように覚えている。アンカーは2週走らなければならない、と思い込んでいた私は、見事自分のクラ

    中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。
    ep_meister
    ep_meister 2015/08/28
    個人的な感想でしかないけど、がさつなよりは繊細な人間のほうが好ましいよ。 あと、図書館に逃げ込むのも悪かないが、このご時世なんだから、傷つきやすい者たちが寄り添えるようにネットを活用できないものか
  • 長編大作をスケールに見合ったノリで畳もうとすると

    http://anond.hatelabo.jp/20150825163025 益体もなくつらつらとだが上手くやろうと思ったら 1.長編だがそもそもスケールを大きくしすぎないパターン セットアップがある程度整った段階で、話の規模はもう見えていて、実際それを超えたスケールの話にはしないパターン。 ある意味予定調和な規模で話が畳まれて行くので、クライマックスは個人の内的な心境変化で魅せて行くくらいしか、盛り上げる手がないのがネック。 女性作家が得意かも。男性作家はキャラクターの内面を成長させてしまうと、キャラ付けが変わってしまうためか、終盤に心境変化を魅せるのを嫌う傾向があると思う。 2.実はSFでした・メタ世界ありましたパターン とにかくもっとでっかいスケールの世界の手のひらで踊っていたんだよ、というパターン 80~90年代にわりと見たというか正味やりつくされていて、すでにネタが割れきって、

    長編大作をスケールに見合ったノリで畳もうとすると
    ep_meister
    ep_meister 2015/08/28
    ハッピーエンド症候群なのが長編読者との記述を目にして、かつてのエロゲで切ない終わり方を迎える作品がわりと支持されたのは、コンテンツの構造上結末まで一気に駆け抜けることができたからなんだろうなと思った