まずは、こちらをご覧ください。 じんわりとするでしょう。 サランラップでくるまれた、手作りのおにぎりがちょこんと電車の座席の上に置かれていたのです。そばにはだれもいません。誰のおにぎりか、わかりません。誰が握ったものかもわかりません。どうしたらいいのかわからなかったのですが、とりあえず「おにぎりが置いてあるねぇ。」「そうだねぇ。」という、これまたじんわりとした会話を相方と交わした後、おにぎりをぼんやりと眺めていました。 悲しみ。 じんわりと湧き上がってくるのは、悲しみという感情です。 おそらく誰かが誰かのために心をこめて握ったおにぎりであることに違いはないはずなのです。食べるはずだった誰かの手を離れてしまったがために、誰からも食べられることなく、ただただ電車で遠くに運ばれていくだけのおにぎり。終点、新三田までおにぎりは運ばれていくのです。食べられてこそのおにぎりなのに、食べられることなく、