2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 506 名前:1/2[] 投稿日:2010/11/28(日) 17:15:38 ID:HMxmlkup 文禄元年(1592)豊臣秀吉による朝鮮出兵。いわゆる文禄の役である。 いち早く釜山、登莱を攻略した日本軍は、これから直ぐに朝鮮の都に向かって進撃するか、 それとも秀吉からの命令を待つかで評議をした。 ところが諸将の議論様々に分かれ、とても纏まりそうにない。 この時、福島正則が進み出て発言した 「今回日本を離れ高麗の地に向かうと決まった時から、この命は太閤殿下に捧げ、死骸を 朝鮮の地に晒そうと思い定めて来た。 このような事今更あなたがたに申すのもおこがましいが、三千の兵が一致して命をかるんずるときは 万の兵を破るのも安いと言
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 56 名前:真の武士とは 1/2[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 10:51:14 ID:IX9IBn7l 結城秀康の重臣、狛伊勢守孝澄の嫡男が鎧着初めの儀式を行うことになった。孝澄は家中で武名の高い阿閉掃部に 着付け親を頼み、同僚も隣家の主人も裏の隠居も向いの女房もみんな呼んで祝宴を開き、大々的に儀式を行なった。 着付けが無事に終わり、祝宴の席で孝澄は掃部に、一つ頼みごとをした。 「今日は誠にかたじけない。ついでと言っては何だが、愚息への教訓に、『真の武士』たるお主の武辺話など語って もらえぬだろうか?」 「いやいや、拙者以上に見事な武者振りを遂げた者など何人もおり、拙者にその呼び名はふさわしうはござらん。
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:20:46 ID:LqX89tP0 敵も認めた漢の褒美 前田利常の家臣平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。 大坂の陣の際、真田丸を攻めていた五右衛門は、主人である弥次右衛門の 楯になり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。だが五右衛門は 「なんのこれしき、かすり傷でござるわ!」と笑い捨てた。 五右衛門の剛気を称賛した真田丸の兵達は、 「名を聞かせ給え」と五右衛門に声をかけた。 「う……」だが五右衛門は困惑した。なぜならば、まだ名乗る姓を 許されていなかったからだ。これを見た主人の平野弥次右衛門はすかさず 「我が姓をつかわす!」と叫ん
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 485 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/30(土) 20:06:28 ID:u1yI5pgV まーくん、家康に助けられる。 これは「老談一言記」などにあったお話。 1591年ごろのある日、家康が朝食をとろうとしたとき、打ちひしがれたマー君の家来が尋ねてきた。 聞けば、九戸の乱に加担したことを疑われ、秀吉に四国・伊予への 国替えを命じられそうになっているので助けてほしいとのこと。 家康はまーくんの家来に朝食を相伴させ、その後一喝する。 「大体、政宗という男は、荒々しく見えるが、実は腰抜けだからこんなことで狼狽する。 四国に行って魚の餌になるか、切り死にするか、もう一回よく考えてみろ。」 そして、使者にこっそりと
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/23(月) 22:30:47 ID:jgdlniVm 伊達政宗が鷹狩りに出かけたある時、その途中で芝の上に寝転がり、 よほど気持ちが良かったのか、そのまま昼寝を始めた事があった。 政宗、スヤスヤと寝入ったが、この時俄かに雨が降り出す。 付き従っていた近習が、政宗を起こした 「殿、雨が降り出しました。目をお覚まし下さい。」 が、気持ちよく寝入ったところを起こされた事は、独眼竜の逆鱗に触れた 「誰が起こせといったーーーー!!!!」 政宗、傍に置いた刀を抜くと、刃をその近習に向けた! 寝起きの独眼竜の目は本気だ。近習、逃げる。が、逃げられれば政宗も当然追いかける。 そ
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 14:01:28 ID:+liEFnnL 応仁の乱において、西軍の大将となった山名宗全。 ある時彼が、とある大臣家の公家と話をしていた時、この公家が『先例』という事に 強く拘るのを聞いて、このように言った 「公家の方々は何かと言えば、先例、先例とおっしゃる。 しかしこれからは、”例”を、”時”と言う文字に置き換えてみてはいかがでしょうか? 世の中が安定し、法が不変の時代ならば、先例を引くのはよいでしょう。 しかしそうで無い時代では、それは全く通用いたしません。 あなた達公家は先例に拘るあまり、時代の変化を理解できませんでした。 そのため武家に天下を奪わ
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/22(日) 20:44:07 ID:mhbZhK1s アユタヤ王は悩んでいた 隣国ビルマが何度も遠征を仕掛けてきたのである 迎撃しようにも当時の東南アジアは人口希薄地帯 自国の兵が圧倒的に足りなかった しかもビルマは鉄砲で武装したポルトガル人傭兵を抱えていた そこでアユタヤ王は「こっちも傭兵雇えばいいじゃん」と同じようにポルトガル人傭兵を雇った が、まったく役に立たなかった ポルトガル人傭兵は同士討ちを恐れてまったく戦闘に参加しようとしなかったのである そこでポルトガル人以外で傭兵を構成することにしたが問題が起こった 鉄砲の重要性は理解していたが扱いに長けていな
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 716 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/25(月) 00:00:19 ID:B9t2JU0x 関ヶ原の決戦によって、西軍に属していた上田宗箇は牢人となった。 しかし、ほどなく家康から罪を許され、宗箇は浅野家に、1万石で仕える事となった。しかし、古田織部の 高弟でもあった宗箇は、武将としてではなく、茶堂として召抱えられた。これは、新たに大領の主となった 浅野幸長が、当時の上流社交の基本である茶道の基礎を、浅野家に打ち立てるために、宗箇のその方面の 才能を必要としたためであったが、それは、浅野家のほかの家臣からの嫉妬と嘲笑を買うことにもなった。 彼らは、 「我が殿はさすがに大身である。茶坊主を万石でかかえるとは。
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