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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (2)

  • 愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ること「人間の土地」

    傲慢で独善、だが羨ましくてたまらない。 読んでいて、何度も妬ましい炎に焼かれる。サン=テグジュペリはあらゆる乗り物が果たせなかった、速度と高度を得ただけでなく、その高みから観察する目と、見たものを伝える言葉を持っていたのだから。 たとえるなら、究極に達したアスリートかアストロノーツが還ってきて、自分のセリフで批判を始めたとき、わきあがる嫉妬の痛み。一つ一つわたしの胸に刺さる言葉は、究極からの帰還者だから吐けるのか、究極への到達者だから見いだせるのか、分からない。分かるのは、わたしには絶対たどり着けないことだけ。 サン=テグジュペリはこんなセリフを吐く、「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」。名言として知ってはいたが、まさかサン=テグジュペリが、しかも「人間の土地」で述べていたとは。しかもこれ、両想いの男女のことではないのだ。 このセリフは

    愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ること「人間の土地」
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 学力低下の本当の原因

    教育の荒廃が叫ばれている。 学校、保護者、子ども自身、そしてそれらを取り巻く環境――官僚、政治家、教育委員会、地域社会が制度疲労に陥っている。教育亡国論が喧しくとも思考停止と非難合戦、手をこまねいているばかり。教育現場は完全に活力を失っており、責任転嫁の応酬に明け暮れている。 ■ 教育改革の担当者は誰か? 象徴的な例を、いくつか挙げよう。ひとつめは、NHK世論調査(※1)だ。「教育改革の担当者は誰か?」という問いかけに対し、こんな結果が得られた。 注目すべきは、教育のまさに現場にいるはずの「教師」と答えたのが、たった8%ということ。あまつさえ、「父母」と答えたのがわずか2%は情けない。いわゆる「お上」任せである。「教育」は政争の具に貶められ、人質化している。そして、いまどきの教師、両親は、当事者意識を完全に欠如しており、犠牲になるのは子どもたちだ。 ■ 4脚のニワトリ、絵の具でできる「き

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