陸海空軍の名称統一の際に命名規則が変更されたことに伴い、1963年6月にMB-1はAIR-2Aジニーに改名された。MMB-1 スーパージニーと呼ばれる改良型も計画されたが、実際の開発は行われなかった。名称統一の際にMMB-1はAIR-2Bに指定されている。1965年からサイオコールはより長時間燃焼するロケット・モーターの製造を開始し、このモーターの製造は1978年まで続いた。多くのAIR-2Aがこのロケット・モーターを搭載するようアップグレードされ、改良されたジニーは(MMB-1が実在しなかったため、半ば公式的に)AIR-2Bとして知られている。当初MB-1-T(コードネームはティンナ・リン(Ting-a-Ling))と呼ばれた不活性訓練弾(イナート弾)も少数生産され、後にATR-2Aに改名されている。MB-1-Tは、起爆すると白い煙を発する訓練用弾頭を備えていた。 プラムボブ“ジョン(実