タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/using_pleasure (7)

  • こんな話が美談みたいに語られるのは、なんかおかしい。 - 記識の外

    引きこもりがちな青年の就労を支援する東広島市の「翼の会」の取り組みが実を結んできた。スタートして一年半、これまでに九人を受け入れ、うち四人が自立の道を歩み始めた。仕事に就かず学校にも行かない「ニート」が社会問題化する中、会の活動は解決に向けたヒントを与えてくれる。(治徳貴子) 同市高屋町杵原の高屋福祉センターにある三十五平方メートルの一室。三十歳代の男性二人が、市内の車の部品工場から請け負った部品の不要物をニッパーで取り除く作業を黙々と五時間こなす。翼の会が毎週月、木曜の午前九時から開く「仕事体験講座」だ。 工賃は一個一円。一人が一日に仕上げるのは約六百個という。「一カ月でわずか四、五千円。ただ、収入よりも一つの作業を根気強く長く続けることを学ぶのが狙い」。指導する妹尾敏昭さん(71)は説明する。 中国新聞・地域ニュース 「部品の不要物をニッパーで取り除く作業を黙々と五時間こなす」ことが、

  • モヒカン族のために。 - 記識の外

    前回書いた『ハッカー宣言』の帯文に対しモヒカン族グループからリンクを貼っていただいた。 で、今回はそのお礼として『ハッカー宣言』の中からモヒカン族のattitudeにフィットしそうな文章を拾ってみよう。モヒカン族が対峙する「ケータイ族」の振る舞いが、マッケンジー・ワークが指摘する「情報の死んだ形態であるコミュニケーション」に相当するだろう。(なお、今回掲載するのは校正前の訳文です。なので、書籍版とは異なっている箇所がいくつかあります) 004 ハッカーは新しい事物を世界へ投げ入れる可能性を創り出す。しかし、それは常に偉大な事物であるとは限らないし、良き事物であるとも限らない。だが、とにかくそれは新しいのだ。芸術において、科学において、哲学において、文化において、そしてデータが寄せ集められる場における知識の生産や、知識から情報が抽出される場における知識の生産において、さらにはそうした情報の中

    モヒカン族のために。 - 記識の外
    essa
    essa 2005/07/06
  • 『ハッカー宣言』の宣伝。 - 記識の外

    essa
    essa 2005/07/03
    「ハッカーを一つの階級として抽象化することは、階級概念それ自体を抽象化することなのだ」カコイイ!!
  • 多少時間に余裕ができたので。 - 記識の外

    グラフィティについての僕の立場は、「グラフィティは芸術だから保護しろ」などというものなのではまったくなく、単に「グラフィティはある一定の社会的機能を果たしているのだから、そのことをとりあえずは認識しよう」というもの(というか、グラフィティが芸術かどうか、なんて議論はかなりどうでもいい)。ちなみにグラフィティの「精神論」なるものにもあまり興味はない。というか、彼/女らがどのような個別的なエートスに基づいてグラフィティに携わっているのか、という点については興味があるけれど、グラフィティ「一般」がどのような「精神論」を内包しているのか、ということは僕の興味の対象ではない。 グラフィティをめぐる議論において時たま「不毛だなぁ」と思うのは、多くの人がグラフィティそのものに対して価値判断を下すものの、「ではどうしたらグラフィティの「被害」から免れることができるのか?」という議論が出てこないところ。「グ

    essa
    essa 2005/06/25
  • 「落書き、知力低下反映? 単純な絵などばかり 仙台」 - 記識の外

    仙台の街を汚す落書きの質が低下してきた。もちろんどんな内容であれ犯罪だが、以前の落書きはメッセージや芸術性を感じさせるものも少なくなかった。それが最近は単色で、排せつ物の単純な絵やわいせつな文言などばかり。仙台で落書き消しのボランティア活動を続ける団体は「知力が落ちたのか、低年齢化が進んだのか」と嘆いている。 河北新報ニュース 落書き、知力低下反映? 単純な絵などばかり 仙台 「落書き」を犯罪だとして取り締まりを強化する一方で、ペインティングに代わるタギングの増殖をグラフィティライターの「知力低下」の問題だとしてすりかえる「ボランティア団体」の見識の低さにはびっくりする。 一般的に言って、一つの絵を書くようなタイプのグラフィティ(ペインティング)を行うためには、タグを書き付けるようなグラフィティ(タギング)よりも長い時間壁に向かい合わなければならないし、その時間が長い分、グラフィティを描い

  • 高田渡逝去 - 記識の外

    自衛隊に入ろう」などで知られるフォーク歌手の高田渡(たかだ・わたる)さんが、16日午前1時22分、心不全のため公演先の北海道釧路市の病院で死去した。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0416/001.html?t5 すごく哀しい…。 らもさんが旅立ったかと思ったら、高田渡まで逝っちゃったのかよ…。 哀しい。とにかく哀しい…。 また一人、大好きな人がこの世からいなくなった。 今宵の追悼盤は「貘-詩人・山之口貘をうたう」に決定。 その中から一曲、「告別式」。 告別式  作詞:山之口獏・高田渡/作曲:高田渡 お金ばかりを借りて 歩きまわっているうちに 僕はある日 死んでしまったのだ やつもとうとう死んでしまったのかと 皆はそう言いながら煙を立てにきて こうしてあの世に来てみると そこには僕の親父*1がいて むくれた顔して待っているのだ なにをそんな

    essa
    essa 2005/04/21
  • http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050223

    essa
    essa 2005/02/23
  • 1