気になることというのは、 見知らぬ相手からいきなり暴力的な言葉を投げかけられても、普通の人は対話をしようという気を起こさない というテーゼに含まれる、その「暴力」性の問題なのだが、 個人的な経験からして、どうもこの国の「世間」においては、「対話」そのものが「暴力」であるとして排されているような気がしてならないのだ。 「インテリ」とか「共産党」とかいう言葉を否定的に使いがちな人間の姿勢を見聞きし、その本質を見据えてみるに、 どうにも論理的な言葉遣いそのものがこの国では否定にさらされて当然であるとするような態度が、「肯定」されているのである。 これをもっと俯瞰してみるならば、「バカな女はカワイイ」というジェスチャーにもたどり着く。 ――例の「ワタシ、ムツカシイこと分からないんでぇ」というヤツだ。 そして、このような人間こそがこの国において多数派を占め、そして「コミュニケーション能力」の持ち主だ