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ブックマーク / note.com/774notes (5)

  • 山本夜羽音先生の短すぎた人生と、長すぎた青春についてのメモ|CDBと七紙草子

    何度か書き直してまとまらず、というかまとめてしまうことが悪いことのように思えていつまでも投稿できなかったのですが、今月中に残しておきたいと思い、山夜羽音先生の思い出について書きます。 先日亡くなられた山夜羽音先生の追悼ミサに、仕事を抜け出して出席しました。「面識のない方はご遠慮ください」ともあったのですが、実を言うと面識があると言えばありました。ただ、CDBです、と名乗っての対面ではなく、いちファンとしてお話ししたことがあるだけだったので、もし教会が満員だったら御花料を渡して帰ろうと思って高円寺教会まで出かけたのですが、少しだけ席がありそうだったので末席に加えていただきました。 いつか山夜羽音先生にCDBとしてお会いして「あー、お前あの時のファンの人じゃん!」と思い出してもらうのが夢で(覚えてないかもしれませんが)、今度初めてのも出るし、それを献するきっかけに…と思っていたのです

    山本夜羽音先生の短すぎた人生と、長すぎた青春についてのメモ|CDBと七紙草子
  • 映画『大怪獣のあとしまつ』とSNSの反応について思うこと|CDBと七紙草子

    昨日まで『批評家ぶった批判は嫌われる』『好きになれなければ立ち去ればよい』『今のオタクが大切にするものは推しへの愛、粗探しや吊し上げのノリはもう過去の痛いオタクの遺物』という論調だったツイッター民が、公開初日にして『大怪獣のあとしまつ』をトレンドに乗るほどぶん殴っているという事実 — CDB (@C4Dbeginner) February 4, 2022 公開初日からツイッタートレンドに乗るほど叩かれている映画『大怪獣のあとしまつ』、もともと楽しみにしていたので初日に自腹で見てきました。 最初に言うと「令和のデビルマン」みたいな叩きは違うと思う。CGや映像にはかなり資金を投じてそれなりの映像に仕上げているし、俳優陣も豪華で演技も上手い。 この映画がなんで炎上しているかというと、予算や才能が足りなくて完成形に行けず失敗しているのではなく「シン・ゴジラ的なヌーベルバーグ怪獣映画と思わせたのに、

    映画『大怪獣のあとしまつ』とSNSの反応について思うこと|CDBと七紙草子
  • 有線放送から流れてきた素晴らしい曲をググっても全然出てこなくて、5万人に聞いて探してみたらフォロワーまだ100人ちょいの新人シンガーの曲だった話|CDBと七紙草子

    上の通りである。 アホほどうるさい川崎のビルで、耳の遠いおじいちゃんが受付の女の子に同じ話を繰り返している間に有線から流れてくる曲の歌詞はまともに聞き取れなかった。でもそれが、すごく良い声の女性が歌う、すごく良いメロディの歌であることは分かった。流れてくる歌詞の断片ををスマホで検索してみた。 何ヶ月に一回かこういうことがあるのだが、たいていこういう場合、その曲は有名なアーティストの大ヒット曲である。逆になんで知らないの?と言われるレベルの名曲、そのアーティストの代表曲であることも多い。cdbちゃんは音楽に造詣がなく、アンテナが低いので、よほどの名曲じゃないと引っかからないのである。 しかし不思議なことに、その曲はいくら検索してもそれらしい曲がまるで引っかからなかった。この世にGoogleが見つけられない曲なんて今どきあるのだろうか? 僕は仕方なく、Twitterのアカウントで聞いてみた。フ

    有線放送から流れてきた素晴らしい曲をググっても全然出てこなくて、5万人に聞いて探してみたらフォロワーまだ100人ちょいの新人シンガーの曲だった話|CDBと七紙草子
  • 20年前、森喜朗批判のあとにやってきたもの|CDBと七紙草子

    当たり前の話だが、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長、森喜朗氏による発言が女性差別であることは論を待たないし、国内外からの批判もまったく当然のことだと思う。だがちょうど20年前、2000−2001年の歴史を振り返ると、不吉な予感に襲われるのも事実だ。ちょうど20年前にも、これとそっくりな風景があったから。 森喜朗には不思議な力がある。それは「負のポピュリズム」とでも言うべき奇妙な力、大衆をわかりやすくムカつかせ、まとめる力である。例えば不思議なことだが、麻生太郎や石原慎太郎がどれほど暴言を繰り返しても、こういう現象は起こらないのだ。彼らの暴言、傲慢さに自己同一化する人々が現れ、タカ派の政治性を形成し、それは時に多数を占め、「なぜあんな男を支持するのか」とリベラルな知識人にため息をつかせる。アメリカトランプや、ルペンなど各国の極右政治家などもこのタイプに属すると思う。

    20年前、森喜朗批判のあとにやってきたもの|CDBと七紙草子
  • 映画版『えんとつ町のプペル』の出来そのものは良いからこそ厄介という、かなり面倒くさい話|CDBと七紙草子

    少々というか、かなり面倒くさい話をする。 サロン商法でネットで今ぶっ叩かれている西野亮廣氏(何が問題でどう叩かれているのかは「西野亮廣 プペル」で検索すると山ほど出てくると思うので省略する)が制作総指揮の『えんとつ町のプペル』というアニメーション映画の、アニメーションのクオリティ自体は極めて高いのである。これはちゃんと見たのでマジである。 当たり前の話で、アニメーションを実際に制作しているのは「制作総指揮・西野亮廣」ではなくstudio4℃という名高いアニメ会社であり、これは『鉄コン筋クリート』とか『海獣の子供』といった名作を過去にアニメ化してきた、日有数に実力のあるアニメスタジオなのだ。西野亮廣がどうこう以前に、実質的な制作の大部分はstudio4℃が担当しているのだから、クオリティはそりゃ高いに決まっているのである。(西野亮廣は元になった絵を描いたことで原作者・制作総指揮として大々

    映画版『えんとつ町のプペル』の出来そのものは良いからこそ厄介という、かなり面倒くさい話|CDBと七紙草子
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