赤穂事件(あこうじけん)は江戸時代中期の元禄期に発生した事件で、吉良上野介を討ち損じて切腹に処せられた浅野内匠頭の代わりに、その家臣である大石内蔵助以下47人が、吉良を討ったものである。 事件は人形浄瑠璃・歌舞伎の仮名手本忠臣蔵を始め、数多くの芝居、講談、そして映画やテレビドラマの題材に取り上げられた。 歌川芳虎 作「義士四拾七人」 史実としての本事件を指す用語としては、「赤穂事件」で統一されている[2]。一方で、「正保赤穂事件」[注釈 2]、「文久赤穂事件」[注釈 3]と区別をつけて「元禄赤穂事件」とも呼ばれる。 赤穂事件を扱った創作物については、人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』以降、忠臣蔵と呼ぶことが多い。講談では赤穂義士伝(あるいは単に義士伝)と呼ぶ。 吉良を討ち取った47人(四十七士)の行為を賞賛する立場からは、四十七士の事を赤穂義士(あるいは単に義士)と呼ぶ。 それ以外の立