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人生と大学に関するevekilled10のブックマーク (18)

  • https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kazushi/misc/gsguide2013.pdf

  • 大学のサークルの付き合いって一生続くと勝手に思ってた。

    大学卒業して一年目。 現役時代、同期40人くらいいるサークルに属していた。 それなりに仲良かったし、サークル引退しても、学校卒業しても月一くらいで飲んだり、たまには遊びに行ったりすると思ってた。実際、自分より上の世代引退後も遊んでいるというのをよく聞いていた。 サークルを引退して2年が経った頃から、LINEのグループに遊びの誘いを流すのだけど、一切関わってこない人が増えてきた。8割程はもう関わってくれない。 自分の独りよがりで勝手に仲良かったと思い込んでたのかなとか考えてしまってすごい落ち込む一方で、会社に勤めている人もいるし、研究室が忙しい人もいるから仕方ないかなって自分に言い聞かせていた。 他にも企画が良くなかったのかなとか言い訳はかなり浮かび上がった。 今日、あんまり関わってくれない人と仲が良い人(この人もサークルの人)と飲む機会があった。 友人「今度○○とディズニー(女同士)に二人

    大学のサークルの付き合いって一生続くと勝手に思ってた。
  • 高学歴の世界を一瞬だけ垣間見た話

    http://anond.hatelabo.jp/20130901220935 のポストを見て書く気になった。 ただちょっと視点が違う。 =================================== うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。 貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、 県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。 みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見市。 同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。 通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、 親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。 酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、 不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。 授業な

    高学歴の世界を一瞬だけ垣間見た話
  • 研究者になるまで │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

    私は気が弱い。およそプレッシャーというものが苦手で、受験競争がいやで高校を辞めたほどである。みなが一心不乱に勉強している図書館に行くとあらがい難い眠気を覚える一方、騒然とした駅のベンチでにわかに学習意欲を覚えることもある。高校を辞めた後も、半年ほどぶらぶらしていると、次第に学習意欲が湧き、毎日英書を読んだり、古典語を勉強して過ごすようになった。そういうあまのじゃくな人間が何かを選択するとき、競争の少ない、ひそやかな分野に心惹かれるのかもしれない。 高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きに

  • 大学でとったノートを捨てることにした

    ひょっとしたら役に立つかも知れないが どうしようもなく棚を占領して邪魔なので捨てることにした。 それほどに今の俺にとって畑違いすぎて無価値だし、 でもいざ捨てるとなると「大学行ったのは無駄だった」と自分の中で当の決着がついてしまうので すごいストレスになっている。 でも実際無駄だったしこの期に及んで棚が占領されっぱなしなのは許せないので捨てる。 学費出してくれた親に申し訳ないのは間違いないしこの体たらくも気づかれていると思うが そのうえ勉強の証拠たるノート捨てたと知られたらもっとあああ書くの面倒臭くなってきた 無駄金。俺の血肉になってるならまだしもなっておらず、唯一形に残っているノートを捨てるのですからほんと無駄だったことになる。 この人生ゲームつらい ボドゲの方は過ぎた時間を振り返らずに済むってところがヌルゲーだわ

    大学でとったノートを捨てることにした
  • BioMedサーカス.com - 医学生物学研究の総合ポータルサイト

    無題 この文章は私の心の闇を文章化したものである。万人に好まれる読み心地の良い快適な文章ではないことを初めに警告しておく。 私は小さい頃から自分はエリートで歴史に名を残す人物になると思っていた。幼稚園の頃に既に自分は周りとは違うという意識があった。小学校では天才だと色々な人から言われた。有名な中高一貫校を出てT大学に入った。大学院での研究では同期よりも先輩よりもimpact factorの高い雑誌に論文が掲載された。これまでの研究室の歴史の中で自分の論文が一番高いimpact factorだった。しかし、自分だから当然の結果だと思っていた。そのときは、挫折などは凡人が感じるものだと心の底から信じきっていた。 雲行きが怪しくなったのは、某財団から奨学金を獲得して海外に留学してからだった。奨学金も特に苦労せずに獲得できたため、海外のLabで自分が研究すれば2年ほどでCellやNature、Sc

  • それでもあえて言う。安易に生命科学者を目指してはいけない - 科学・政策と社会ニュースクリップ

    理研発生再生研の研究者らの発表は、世界を驚かせました。 体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見−細胞外刺激による細胞ストレスが高効率に万能細胞を誘導− 細胞外からの強いストレスが多能性幹細胞を生み出す 私もかつて、浅島誠博士の研究室で発生生物学の研究をしていたこともあり、多少発生生物学の知識がありましたので、仰天するほどすごい成果だと思いました。あと、私自身筆頭著者の小保方晴子博士が卒業した早稲田大学理工学部応用化学科に一年間だけ通ったこともあり、その点でも刺激を受けました。まあ、あくまで個人的なことではありますが… なぜSTAP細胞は驚くべき発見なのか――STAP細胞が映し出すもの 八代嘉美 / 幹細胞生物学 筆頭著者の小保方晴子博士に関する報道が加熱し、小保方博士個人のプライベートや容姿などに関することが話題になっている点も議論になっています。 「デート」「ファッション好き

    それでもあえて言う。安易に生命科学者を目指してはいけない - 科学・政策と社会ニュースクリップ
  • 就活失敗して内定がもらえなかったからMBAにいったらスゴイことになった話

    プロフィール 小森雅(こもりみやび)。1988年生まれで神奈川県出身。日大学、商学部卒。大学3年から4年にかけて就活をするも全滅し、逃げ道として一橋大学大学院のMBAに進む。そこで大量の情報をインプットし、毎日優秀な人と議論し、課題をこなすことで実力を身につけ、2度目の就活では一流企業から複数内定を獲得することに成功。 はじめての就職活動 志望動機なんかねーよ 大学3年、後期の授業が始まり、10月になった頃、また学内で就活セミナーの告知がなされていた。「全員参加」とある。これは出席しないとまずいのだろか。正直、行きたくなかったが、全員参加の文字が気になる。友人の増川はバイトがあるから行かないという。なんと不真面目な。 不安だったのでとりあえず出席したみたところ、自己分析から面接までの一連の流れを説明してもらえた。 「まずは自己分析をして自分を知りましょう。エントリーシートは企業へのラブレ

  • 生物系の学生は生命科学に見切りをつけろ ~専攻ロンダのすすめ~

    の生命科学が駄目な理由を書いていこうと思う。 たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20090222224732 の方も書かれているように、日の生命科学の学生やポスドクがおかれた環境は悲惨な状況にある。 問題点の一つ目は労働力確保目的のポスドクと院進学である。この分野では、ピペット土方とよばれる単純作業を繰り返すことが必要不可欠であり、教授は学生を労働力確保の手段として、修士や博士に進ませることが一般的なのだ。 その過程では、 「製薬研究職に行きたいなら博士まで進まないとね。」 「博士に進み、生命科学の研究者を目指すことこそ醍醐味。」 のような宣伝が学生に対して刷り込まれる。 もちろん研究職である大学教授にとってはそれは音である場合も多いのだろう。しかし、実際にはテクニシャ

    生物系の学生は生命科学に見切りをつけろ ~専攻ロンダのすすめ~
  • たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない

    大学院を中退して数年、初めてまともな文章の形にして、生命科学の現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生の意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。 関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、生命科学に強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。ちょうどゲノムが全部読まれたころ)、まあ実家からそこそこ近かったこともあって、京大理学部に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、生命科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに大学院に8割以上が進学する割りに、周りに統計を勉強している

    たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない
  • 承認欲求で研究者にはなれません - eddgar's field

    2013-12-13 承認欲求で研究者にはなれません 理系の大学ならどこにでもこういう人はいると思う。 いわゆる、著名な研究者になってみんなにちやほやされたいっていう勘違いした人。 職質アンチパターン:研究に対する情熱や愛が死んだ さて,研究に対する情熱を死に至らしめた理由は以下の通りだ. 良いフィードバックが無い 研究室の雰囲気としてコンピュータサイエンスを軽視している サーバー管理などの質的ではない雑務を押し付けられる 研究テーマが特殊で適切な評価を得にくい ということらしいが、すでに自身の結論は出ていて 結局のところ,僕は適切なフィードバックや評価が欲しいだけなのだと思う.この研究室でそうした適切な評価を得ることは不可能だと判断した僕はアルバイト という,少なくとも金銭というかたちでフィードバックが得られる世界に傾いていった. 研究室を変えるとか,研究テーマを変えるとか,そういう事

  • 「天才」と呼ばれた人が、本物の「天才」に出会ったとき(週刊現代) @gendai_biz

    誰よりも頭がいい、そう信じていたが、上には上がいた「天才」と呼ばれた人が、物の「天才」に出会ったとき 人間は、己を超える圧倒的な才能と出会ったとき、自己を客観視して成長する。「天才」たちにも若き日の敗北体験があり、それを乗り越えたからこそ今がある。 世の中には「天才」と呼ばれる人たちがいる。私立灘高校から東大数学科に進み、現在はエコール・ポリテクニーク(フランスの理工系大学のトップでカルロス・ゴーンの母校)の助教授を務める郡山幸雄(38歳)もその一人だろう。 郡山にとって、東大入試は「朝起きて歯を磨く」程度の、緊張感のないイベントだった。 「数学で6問(120点満点)中4~5問は確実に解けるので、それだけで他の受験生に50点近く差をつけられる。合格最低点が300点ちょっとの試験だから、他の科目で少々失敗しても、落ちる可能性は100%なかったんです」 今年も東大理Ⅲ(定員約100名)に27

    「天才」と呼ばれた人が、本物の「天才」に出会ったとき(週刊現代) @gendai_biz
  • 大学院をやめました|Colorless Green Ideas

    はじめに 3月末をもって大学院の博士後期課程を退学することとなった。博論は結局未提出。これで俗にいう「博士課程単位取得満期退学」 [1] になる。 大学院はなかなか楽しかった。周りの人も良い人が多かったし、学術面以外にも色々と勉強になった。結構居心地の良い場所だった。そして、色んな人にお世話になった。この場所でもお礼申し上げたい。 学部4年、修士課程2年、博士後期課程4年 [2] と大学には10年も居続けた。理系 [3] の人は「博士後期課程に3年間ちゃんと在学して研究すれば、博士号なんて簡単に取れるでしょ」と思うかもしれない。私も実際にそのようなことを複数の人から言われた。だが、かなしいかな、日の人文系の大学院はそういう場所ではない。実際、大学院に10年居続けてようやく博士号をとるという例も少なくない。私のいた専攻もそんなかんじで、標準年限内に博士号をとる人の方がむしろ珍しいという状況

  • 最後通告

    文章力がないのでづらづらと書き連ねていきます。 自分の考えの整理にもなると思うので。 -- 私は理系学部の4年生で、4月から修士に上がることが決定している。 研究室は現在と違うところに行く。 すでに卒業単位も取得済み、あとは研究室での私物の後始末や引き継ぎなどを済ませるために現ラボにきていた。 「ちょっといいかな」 とD3の人に言われ、2人だけで話をすることに。 「君に最後に伝えておきたいことがある」 最初は引き継ぎのことかと思っていたが様子がおかしい。 「君は今のままサイエンスの世界にいても失敗するだけだ」 以下がその時に話された理由。 ・君は他人のことをどこか下に見ている ・人の忠告をきかない ・正体不明のプライドがある ・大学以降、人間関係がうまく行っていないのでは? 私はこの話を聞いた時に最初に思った。 あぁ、またやってしまった。と 自分には謎のプライドがある。捨てるに捨てられない

    最後通告
  • 偏差値40で大学に入る君たちへ

    もう15年も昔に卒業した大学に卒業証書を貰う事になった。戯れに偏差値を調べてみたら40だった。 15年前の偏差値を知るよしも無いが、当時から3流大学だった事は間違い無いし、それでも大学は非常に楽しかった。 ふと、もしかしたら高校生や浪人生で偏差値40の大学に入学する事に不安を抱いている人もいるかもしれないと思い、ここに吐き出してみる事にした。 少し僕の話をする。いい大学へ入りなさい。いい会社に入りなさい。安定した仕事をしなさい。親が公務員だった事から常日頃からそう言われて育てられた結果、小学校から成績は低空飛行を続け、高校では県下で下から数えた方がいい3流高校へ入学。そのまま推薦で3流大学へ入学という底辺コースをひた走った。 努力無く見栄えだけは整えようと、部活や生徒会の役職をこなしながら教科書の代わりに小説漫画を読み、寝を忘れてゲームにのめり込んだ。というのが僕の小中高だった。 当然

    偏差値40で大学に入る君たちへ
  • 私の修士での2年間は失敗に終わった

    修論を指導教授に全部書き直してもらうことになった。 恥ずかしい。 そもそも何でこんなことになったんだろうかちょっと考えなおしてみたい。 学部のときはもともと別の研究室にいた。研究内容は良かったけど、かなりいい加減な先生なので修士レベルの研究をこの研究室で行うことに不安を感じ今所属してる研究室に変えた。 修士での指導教授は学部時代とはうってかわって厳しい先生だったが、学生への指導もきっちり行ってくれる人だった。 そんな先生から与えられた最初の研究テーマは最先端といえるもので私自身もやりがいを感じ、この研究室に来てよかったと思った。 おかしくなりはじめたのはM1の6月あたりから。つまるところ研究がはやくも進まなくなった。 進まなくなった理由は単純で「私が先生にあまり質問しなかった」からである。 けっこう最先端のことをやっているのだから、当然わからないところが出てくる。しかも「何が分からないのか

    私の修士での2年間は失敗に終わった
  • 大学では「資格取得」ではなく「興味のある分野の勉強」をしよう - 脱社畜ブログ

    ちょっと前の働きたくない僕が考えた最良の学生生活プランという記事の中で、大学生はとにかく勉強が分だから何はともあれ勉強をしよう、ということを書いた。 このように「勉強をしよう」といったことを書くと、「分かりました!じゃあ公認会計士をとるため予備校に行きます!」といったような反応をしてくる人がたまにいて、「ちょっと待て」と言いたくなる。誤解のないように書いておくと、僕が大学時代にしておいたほうがよいと言いたい「勉強」は「資格取得のための勉強」ではなく、「興味のある分野の勉強」の方である。今日はこれら二種類の勉強に対する姿勢について少し書きたいと思う。以後は、「興味のある分野の勉強」を「学問」と呼んで資格取得のための勉強と区別することにする(来の学問の意味とはちょっと違うと思うが、便宜上そう呼ぶ)。 さて、繰り返すが、僕は大学生活では「資格取得」ではなく「学問」の方に時間を使うべきだ、とい

    大学では「資格取得」ではなく「興味のある分野の勉強」をしよう - 脱社畜ブログ
  • 30過ぎて大学行くのってどう思う? : デジタルニューススレッド

    1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします2013/01/01(火) 20:41:42.84 ID:mbVwdCQp0 それまで金貯めて 2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします2013/01/01(火) 20:41:57.63 ID:CxcCR75A0 かっこいい 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします2013/01/01(火) 20:42:28.72 ID:GTr95xm50 いいんじゃね 8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします2013/01/01(火) 20:42:39.03 ID:PjP87igQ0 大学卒業後を見据えた目的が あるならいいんじゃね? 11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします2013/01/01(火) 20:43:14.65 ID:Cuc3QGzq0 卒業後が しっかりしてるなら勝ち組 14:以下、名無しにかわり

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