1963年1月の独仏エリゼ条約から半世紀。記念行事と報道が続く。その歪曲された歴史物語にややうんざりしながら接している。 『ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会、2008年)をはじめ、いろいろ書いてきた。しかし、何を書いても、何度かいても、美しいストーリーは変わらず、独仏は和解したとなる。ドイツが贖罪してひざまずき、フランスが受け入れ、共通の教科書まで作って平和が訪れた、てな具合に、多くの不勉強なマスコミが報道する。しかし実態は相当ずれている。 ドゴール仏大統領は、当時の6EEC加盟国の間で、仏を盟主とする安全保障共同体を作り、米英主導の西側世界に挑戦しようとした。その独善的リーダーシップにベネルクスやイタリアが反対した末に、(核問題等でアメリカ不信を強めていたアデナウアーの下の)西ドイツだけを残った。だから、独仏だけのエリゼ条約になったのだ。 つまりエリゼ条約は、和解の象徴とされてきたが