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ブックマーク / diary.lylyco.com (2)

  • 目からウロコ!あなたの文章がツマラナイ5つの理由と処方箋|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最近、頭髪が斑になるほどツマラナイ文章が増えた。 主にはブログやそれに類する文章の話だ。暇つぶしのファイナルウエポン、心の隙間を抉じ開ける脳髄のゴミ捨て場、我らの愛するウェブ世界がこんな有様では大変に困る。誤解してはイケナイ。ツマラナイ文章が増えたといっても、面白い文章が減ったなどといっているのではない。当然、どちらも増えている。だがしかし、だ。指数関数的に増え続ける「ツマラナイ文章」に対して、増えてもせいぜい主婦のヘソクリ程度でしかない「面白い文章」はあまりに非力である。ことソーシャルがきっかけで目にする文章のツマラナサは格別だ。どうやら無粋な文章作法の氾濫がことここに至って効いてきているらしい。では、具体的にどんな文章がツマラナイのか。 1. タイトル負けが酷すぎて殺意を覚える たとえばこの記事だ。セオリー通りに飾り付けられたタイトルが実に白々しい。目からウロコ!…などと下手なコピーラ

    f-suger
    f-suger 2012/11/17
  • 「理屈っぽい人間」はおしなべて不幸である|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人が理屈を求めるとき、そこにはたぶん、ふたつのスタートラインがある。 ひとつは、ゼロからのスタート。これは、好奇心や探究心に基づくもので、「なぜ、月は見かけの形を変えるのか?」といった類の疑問に端を発する。もうひとつは、マイナスからのスタート。これは日常を覆う不幸に起因する。「なぜ、友だちができないのか」「なぜ、恋人がいないと辛く感じるのか」「なぜ、お金が儲からないのか」…などなど、人生の不具合は数え上げればキリがない。たとえば百花繚乱の理屈が楽しめる「はてな村」など眺めているとそのことがよく分かる。そして、ぼくたちが日常必要とする「理屈」の大部分は、このマイナススタートの理屈ではないか。 およそ人は、幸せなことや何不自由ないことについて「理屈」をつけようとはしない。少し前に流行った「リア充」なるものがもし実在するなら、彼ら自身は「リア充」なんて言葉を作ってまでそれについて理屈を捏ねたりし

    f-suger
    f-suger 2009/08/28
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