これは当て字とは少し違います。 「真面目」と書いて「まじめ」と読みますが、これは熟字訓といい、熟語全体で読み全体を表す読み方で、どの漢字がどの読みに対応しているかは決まっていません。「大和」を「やまと」と読むとき、「大」が「や」でも「やま」でもなく「和」が「まと」でも「と」でもないのと同じように。 ところが、「真面目」の場合、最後の「目」は普通に「め」と読みますから、じゃあ「真面」は「まじ」なんだな、という誤解(あるいは意図的な誤読)が生まれ、その結果生まれてきたのが「『真面』と書いて『まじ』」という読み方です。当て字というのは漢字の本来の意味を無視して読みだけを当てはめるもの(夜露死苦のように)ですから、成り立ちが異なるわけです。 これは現時点では明確に誤用です。「明日」の「明」は「あかるい」で「あ」と読みそうだから、じゃあ「日」は「す」とも読むんだなとするようなものです。また「真面」に